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一般論や正論ではなく、「わたし」を主語にしたことばを語ります。

2017年10月28日土曜日

荒木のいままでの人生に関するよくある質問と答え

自分に正直に生きてきたつもりではあるけれど、
「普通の人生」とは言えない生き方をしてきたらしく、なぜこの道を選んだのかと聞かれることが多い。
そういうのは、だいたいが話せば長くなるようなことばかりなのだ。ふたりだけで飲んでいる時とか、たっぷり時間を使って答えられる状況でなければ、相手の表情とか時間とかを見ながら、適当に答えたりとか、話せば長くなるんだよねとはぐらかしてしまうことが多く、お互いに納得のいかない返答にしかならないのが残念だ。

正直なところ、自分自身でもよく考えがまとまっていないところも多いのでまとめておきたいし、「詳しくはブログ読んでね」と言えるように、ここに書いておこうかと思います。

さて、荒木は、奈良県橿原市で生まれ、小学校の時に親の仕事の都合で東京にやってきて、その後
普通の都立高校(戸山高校)
→家出(小笠原)
→高校中退・フリーター
→鍼灸の専門学校(東洋鍼灸専門学校)
→大学(国際基督教大学 教養学部 文化人類学と歴史学を専攻)
→大学院(いまここ。一橋大学大学院 社会政策。医療政策とか社会福祉政策とか)
という経歴です。


1.なぜ高校を中退したの?なぜ小笠原に家出したのか?

思春期はかなり辛かったんです。詳しくはここに書きました。どうしようもないくらい辛くて、死にたくて、最後の望みを託して旅立った先が小笠原でした。
 それ以前から、高校と、その先に想定されている大学進学には違和感を覚えていました。私の行っていたのはほぼ全員が大学に進学するような学校だったのですが、誰もが疑問も持たずに大学に進学すること、そしてやりたいことや学びたいことがあるからではなくて、それが当然だと理由もなく進学すること、そして大学の選び方が何が学べるかではなくて偏差値であること、については疑問ばかりでした。
 わたしがやりたかったのは大学進学とか勉強ではないな、と思っていました。音楽が大好きで、音楽がやりたかった。仲のいい友達がいて、彼女と話しているうちにそのことに気付き、大学進学なんてしなくていいから音楽をやろうと思い至ったのですが、家族にも言えずにいたし、勇気を振り絞っていったところで(私が人生でなにをしたいかを家族にはっきり言ったのは、これが唯一だった。その理由は先述のリンク先を読んでください。)家族は理解しようともしてくれなかった。その絶望感と、生きるのが辛いという思いが重なって、居場所がなくなって家出したのだと思います。家出の経過については、こちらも読んでみてください。
 家出先でいろいろな人と出会い、いろいろな人生があることを教えてもらって、なんとか生きていく希望を取り戻したので、東京で生きていくことにしました。一方で、音楽は、仕事にするにはなにか違うな、という思いもしていました。それでも高校に戻る気にはなれず、大学に行くつもりもなかったので、きりのいいところで中退の手続きをしました。当時の同級生は、荒木が学校に来なくなって、どっかの島に行ったらしいという噂を聞き、卒業生名簿に荒木の名前がなく、、、という状況だったみたいです。
 それからはバイトをしてお金を貯めては小笠原に行く、という生活を1年ちょっと繰り返していました。


2.なぜ鍼灸をやろうと思ったのか?

これもよくわからないんです。"呼ばれた"んだと思いますが、いくつか要因はありました。
 昔から生きることと死ぬこととか、よりよく生きるにはどうしたらいいのか、について興味があったので、生命や健康に関わることがしたかったこと。それと同じくらい、東洋的なものとか、グローバルな主流じゃないものに興味がありました。ちょうど、東洋医学はそれに重なる部分ですね。
 あと、重要だったのは、バイト先でたいへんお世話になり、尊敬していた友達が鍼灸学校の学生でした。鍼灸にかんしては彼女に何かを教えられたり勧められたわけではないのですが、彼女がやっていたことだから、という理由もあったと思います。


3.なぜ鍼灸学校を卒業したあと大学に入ろうと思ったの?

理由はいくつかあります。
 ひとつに、専門学校時代にぜんぜん勉強しなかったこと。鍼灸師の国家試験って、4択で、6割取れば受かるんです。落ちる方がおかしいと思うくらいに簡単だったので、週6日バイトに明け暮れる日々でした。そのお金で休みには必ず海外に旅をしていました。卒業するときに、これはまずい、と思ったし、もっと勉強したいという思いもありました。旅行先で、鍼灸について聞かれることが多かったのですが、日本の鍼灸は中国の鍼灸とは全然違うのだと言いたくても英語力がなくて伝えられなかった、という悔しさがあったと思います。
 また、専門学校は3年制だったのですが、2年生のころに重要な出会いがふたつありました。1つが恩師の松田博公先生です。わたしは専門学校の機関誌の編集をしていて、インタビューしたのが松田先生だったのですが、お礼のメールの署名にあった私のブログを先生が読んでくださって、そこから交流がはじまりました。松田先生はICU を卒業されたあとジャーナリストとして医療や教育、公害、社会運動などを取材された後、鍼灸ジャーナリストとして日本鍼灸や東洋医学の思想を研究されていたのですが、松田先生に影響されてわたしも日本鍼灸をより深く学びたい、世界に向けて発信していけるようになりたい、と思い、大学に行こうと思い立ちました。
 もう一人が高校の同級生であるTさんでした。高校の同窓会があって、さんざん迷った挙げ句に参加したのですが、高校時代よく廊下とかで駄弁っていたTさんが当時ICUの3年生で、文化人類学を専攻していたんです。わたしが鍼灸をやっていることに興味を持ってくれて、それでTさんは卒論を日本鍼灸について書くに至ったんですが、そのためにTさんと話したり鍼治療をしたりしている中で、ICUって面白そう、文化人類学っていいなあと思ったんで、受験してみることにしました。大学に行きたいというより、ICUで勉強したかったんです。
 受験を決めたのは3年生の1月で、すぐに願書を出して1ヶ月後に受験だったのですが、どういうわけか受かりました。同時に、鍼灸師の国家試験も受験してなんなく合格して、晴れて2013年4月、鍼灸師兼大学生になりました。

4.なぜ大学で人類学(と歴史学)をやろうと思ったのか

大学でやりたいなと思っていることはいろいろありました。東洋哲学、歴史(特に医学史)、医療人類学、医療社会学、医療政策学、など、だいたいが医療や東洋医学にかんすることでした。手当たり次第にいろいろ取ってみました。悩みました。面白いと思えるのは文化人類学とか文化史・宗教史だったのですが、義務感というか、社会をなんとかするために医療政策もやりたかった。
 でも大学の学部でできることってかなり限られているんですね。もともと大学院にも行きたかったし、それなら学部生のうちは自分の好きなことをとことんやって、大学院で社会のためになるようなことを研究すればいいや、と思いました。だから文化人類学と歴史学を専攻して、死者供養の民俗宗教というテーマで卒論を書きました。

5.大学院のこと

もともと、深く学びたい、できれば研究者になりたいと思っていたので、お金の都合が付くことが分かってからすぐに大学院に行くことを決めました。学部で楽しかった学問、つまり人類学か宗教学を大学院で専攻しようかなとも思ったのですが、たぶんモチベーションが10年くらいしか続かないだろうと思って、医療政策をやることに決めました。いままでに読んで一番影響を受けたのが、現在の指導教員が書いた研究書だったので、進学先を選ぶときもほとんど迷いはありませんでした。

6.着ている服のこと

 肌が敏感なほうなので、綿の服を着たい、なるべく締め付けのないゆるい服を着たい、ということはここに書きました
 なんでアジアンなのかっていうと、特に理由はなくて、最初は面白そうだからという理由で、冗談半分で着てみたんですけど、なかなか着心地もいいし面白いし、やめられなくなってしまって。
あと、よくスカート穿いてるんですが(一見スカートっぽく見えないやつ)、男らしいものとか女らしいものとかそういう区別ってくだらないと思うので、あえてスカートを選んで「歩くジェンダーフリー」を冗談半分で自称してるっていうのもあります。
 同調圧力がすごく嫌いで、つねに自分らしくいることは難しいんだけど、、、それでも「人はこうあるべき」っていう規範や無言の圧力に風穴を空けたりとか、色んな人がいて面白いな、自分らしくいていいんだなって思えて貰えたりとか。そんなことができるように、自分の好きな服を着る、っていうのはひとつの信念でもありますね。周囲や他人の評価に合わせて自分を偽っていると、自分がスカスカになってしまいます。見られることや嫌われることをおそれないで、自分の価値観や審美眼を大切にして行動することって大事だと思います。そして、それと同じだけ、周りの人の持っている価値観も大切にすること。そうしたら世界は明るくなると思うのですよね。


とりあえず、以上です。ほかにも、面白い話はいろいろとあるのですが、お酒でも飲みながら聞いてあげてください。

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