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一般論や正論ではなく、「わたし」を主語にしたことばを語ります。

2017年7月11日火曜日

旅に出るのに理由なんていらないのです

はじめて一人旅に出たのはちょうど十年前の7月、つまりわたしは16歳の高校二年生だった。

旅に出るのに理由なんていらない。
ただわたしは、帰宅部だったから、バイトで貯めた金がそれなりにあって、夏休みの予定はすっかり空いていた。
なんとなく、せっかくの機会だし、この時間を無駄にしたくないと思った。それだけで、旅に出るのは十分でしょう。

ようするに、単なる思いつきだったのだ。

今思えば、旅とは言いがたいくらいの、稚拙な移動の連続技である。だけどそれでも、当時の私には大変な冒険だった。16歳なんて、まだまだ子供のようなものだもの。ちょっとだけ自意識と、背伸びが加わっただけの、子供。


私の計画は単純だった。青春18きっぷで日本一周する。ただし1回では時間もお金も足りないから、2回に分けて。まずは東北の太平洋側を北上し、北海道は富良野あたりまで行って、日本海側を南下したら京都で折り返して帰ってくる。合計15日間。残りの西日本は冬休みに行こう。


もともと心配性だったこともあって、あのときはただ何もかもが不安だった。予測もつかない未来のすべてが。初めての旅。
だから綿密に予定を立てた。時刻表を買って、どの電車に乗り、何時にどこについて、何時の電車に乗り換えて、この町では観光の時間がどれくらいあって、その日はどこに泊まるか。泊まるのはたいていユースホステルか、それがなければ駅近くのビジネスホテルだった。予約もきっちり入れたし、予約の時間に遅れそうなら電話でちゃんと断りを入れた。

つまりこのときの私にとって、旅とは決められた計画をなぞることであって、たまに予期せぬトラブルで計画が崩れることは波乱だったし、ときおり旅先の宿で一緒になったおじさんが話を聞かせてくれるのが旅の彩りだった。急な大雨で電車が運休になって予定が狂ったときはもう旅の計画がすべて台無しになってしまうのではないかと思うくらいに不安だったし、かろうじて動いていた特急に乗ってその日の目的地に行けると分かったときは神に感謝した。それくらい、心配性で神経質な子だった。

親元を離れたのは初めてではなくて、イギリスにホームステイさせてもらったことも2回ばかりあった。でもそれは旅行会社がお膳立てしてくれたものであって、なにかのときには誰かが助けてくれた。すべてひとりで対処しなければいけない一人旅はやはり不安だった。出発の2、3日前から眠れなかったくらいだ。

2回目の旅もやはり不安ではあったけれど、いくらか心には余裕があった。この時は三日目に財布をなくしてかなり落ち込んだけど、それでもなんとかなると分かったのは大きな学びだった。

2回にわたる青春18きっぷの旅の経験があったから、17歳の夏に家出をする(当時は家出という認識はなくて、許可のない一人旅だったが、今思えば十分家出である。)という決断ができたのだとおもう。(このことについては、ここに書きました

その後は初めての海外旅行でクロアチアに行ったり、中米やアジア各地に、治安のあまりよくないところや山岳地帯へと、徐々にハードルをあげて、旅を楽しめるようになった。
それだって最初は不安ばかりで、飛行機の乗り継ぎも空港泊も予定通りにできるのかがわからなくてずいぶんと心配した。



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予測のつかない何もかもが不安だったあの頃と比べたら、いまでは先のことがなにも分からない状況を楽しめるくらいにはなった。

そのことは、とりもなおさず、私たちが今生きている社会は、全てを予測可能にして、先のリスクに万全の対策をしながら生きていることを意味するのではないか。次の電車やバスがいつ来るかから、将来の収入や暮らしぶりまで、すべてを予測可能にする。
一方でそれは、予測のつかないことを恐れ、それを予測可能にするために予防線を張って生きることと表裏をなすのではないか。未来のために生きることが、今という瞬間をおろそかにしてはいないだろうか。

次の電車やバスがいつ来るか、どころか、バスが来るのかどうか、目的地に着けるかどうかも分からないような場所は、この世界にはたくさんある。なんでも予測可能な社会に生きていると、それはとても不便に感じるし、不安を煽ることでもある。
だけどほんとうは、この世界に予測のできる未来なんてない。

わたしたちは、自分の目標や目的に対して、一歩ずつ計画を描いて実現を試みる。だけど実際にはやらないと分からないこと、やってみると思いもよらなかった結果になることも多い。
世界は、ディズニーランドみたいにどこに行けば何があってどんな風に楽しませてくれるかが分かっているような、予定調和の物語ではない。

だからこそ何があるかわからなくて、楽しい。
旅が教えてくれたのは、そんなことだったと思う。



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世の中は分からないことだらけだ。

それでも、分かった気にさせてくれるような情報はたくさんある。ガイドブックもネットもそのひとつだ。
だけど他人が与えてくれた知識で、その土地を理解することはできないのではないか。ネットや本に書かれている、アイドルの趣味や身長や出身地を覚えても、その人のことを分かることなんて決してないみたいに。

二回に分けた日本一周をしても、日本の40くらいの都道府県に「行ったことがある」だけにしかならなかった。それは自分に幾ばくかの自負を与えてくれはしたけど、だからといって日本の何かを知ることはできなかったな、という消化不良な印象の方が強かった。
仙台も札幌も長万部も酒田も、行って、見ただけで、自分がその町について語れることは何もなかった。それでも「日本一周した」とかうそぶいていたら、芸能人に会ったことがあるだけで自慢してるのと変わらないレベル。



いっぽう、家出をした小笠原では一ヶ月ちかく過ごして、島の人にもずいぶんとかわいがってもらった。そのあと何回も島には通い詰めた。そうすることで、自分なりの島の地図を描くとこができるようになった。
ガイドブックにあるような、イルカやクジラ、展望台の地図ではなくて、ここの店の居心地がよくて、ここから見る景色が好きで、ここにはこんな思い出があって、以外と知られていないけどここから見る星はきれいで、ここは幽霊が出るらしい、などなど。
長く深くかかわり、絆を作らないと分からないことが多い。
だから一カ所になるべく長くとどまることにした。

一回の旅行で行くのは一カ国とか一つの地域だけ。それが自分に課したルールだった。そしてできるだけ長く行く。(とはいえ学生の休みを使うと1~2ヶ月が限度である)
パッケージツアーの延長みたいな、2週間で3~4ヶ国まわるような旅行は、ガイドブックに書かれていることの確認作業みたいなもので、他人の知識の上塗りみたいでなんかいやだなぁ、と思った。
ましてや、行った国の数が多い方が偉いと思っているような人にはなりたくない、と思った。だからいまだに、訪れた国の数は数えていない。10から20のあいだのどこかだろうけど、どうでもいいことだ。


旅には、これが正しい旅の作法、とかいうようなものはないから、どんな旅でも、それはそれで楽しいでしょう。

だけどわたしはわがままだから、少しでも私にしか見えない景色、感じられない空気、自分にとって居心地のいい場所をさがしたかった。

相変わらず、世界一周とかには興味が沸かない。。。


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旅とは発作だ、と思う。

旅に出たいとか思うのではなくて、衝動のようなもの。
じぶんにはそれしか、残されていないので、旅に出る。

「なんで小笠原/パキスタン/インド行こうと思ったの?」とか聞かれるけど、「呼ばれたから」としか答えていない。



宮田珠己はいう。
何のためにやるのか、それはオレの人生においてどんな意味があるのか、なんて考えていると、もうだめである。それはつまり、やりたいけど面倒くさいという正直な本音に、いいわけを与えようとしているだけだからだ。
 やりたいことは面倒くさい。
 案外知られていないが、これは人生の根本原理のひとつである。
 面倒くさいってことは、本当はやりたくないからじゃないか、などと言う人があるが、それは大きな間違いだ。何事もやっているからだんだん面白くなるのであって、やる前はどんなことでも面倒くさいに決まっている。
 そんなことを言う人は、自分自身常にやらない言い訳を考えている人であり、その身も蓋もなさたるや、あなたって結局自分が一番かわいいんでしょ、とか問い詰めてくる女と同じくらい不毛であるから、警戒しなければならない。そういう女には、結局自分が一番かわいいのは生物として当然であり、二番目にかわいいのがお前なのだ、と言ってやるがよい。そういうわけでつきあってくださいと言ってやるがよい。
つまりがたがた言わないでやっちゃえ、ということなのである。
  
(宮田珠紀、『だいたい四国八十八カ所』、2014年、集英社文庫、16-17頁。強調は引用者。) 

 そう、旅は面倒くさい。理不尽が次から次へと波のように押し寄せ、災難やトラブルや体調不良に襲われる。騙されたり財布を盗まれたり変態に遭遇したりして憂き目を見るくらいなら、家でゴロゴロしていたほうがよっぽど楽なのだ。

 それでも、つべこべ言わず旅に出るのだ。