髙橋和巳『子は親を救うために「心の病」になる』とわたしの経験

精神科医でカウンセリングをされている髙橋和巳先生の著書『子は親を救うために「心の病」になる』は、多くの方が推薦されているように、私にとっても大切な一冊でした。


たまたま出会った本ですが、自分の辛さや生きづらさの原因が分かり、目からウロコでした。
なかなか衝撃的な題名ですが、じつはたくさんの人に心当たりがあるのではないかと思う内容です。

 まったくの白紙の心を持って生まれてくる子どもは、この世界の生活に適応して生きていくために、親から生き方を教わって成長し、大人になっていきます。どうやってこの人生を頑張って、生きて行くかを、親の生き方をみて子は学びます。そして思春期に、子どもは親の生き方から自立していこうとします。
 だけど親も完璧な人間ではないから、気持ちの偏り、嘘、辛い気持ち、間違った生き方を抱えている。その「心の矛盾」まで、子どもはコピーします。そして、その心の矛盾が大きいと、子どもにとって自立の時期である思春期や青年期に苦しみ、「心の病」になる、と髙橋先生はいいます。

 たとえば、学校に行かず引きこもり、母親に暴力を振るう息子。彼は母親にほめてもらいたくて、いい子になるために、母親のペースに合わせ、母の気持ちに応えようと生きてきました。一方で彼は自分の意見を言えず、つねに母に同調させられていたことが苦痛で、その苦痛が爆発して暴力を振るうようになった。そしてその母親も、母に常に自立を求められて生きてきたから、子どもが甘えたりわがままをいうのが許せず、子どもがつねに「いい子」でいることに支えられてきたのです。
(第一章「息子は親を救うために引きこもった」)

 あるいは、拒食症になった娘。仕事に熱心に打ち込む母を見て、お母さんが頑張っているのだから私はもっと頑張らなくちゃいけないと思い、我慢することを学んで、自分より母親を優先して生きてきました。その結果、自分には努力が足りない、と自らを責めるようになり、拒食症になった。
(第二章「娘の摂食障害が、母親の人生を回復させた」)

 虐待を受けて育った子どもは、DVの被害者になる事が多い。これは普通の子が自己主張をすることで存在を確認できるのに対して、自己主張が抑圧されているため、我慢をすることが存在の確認になるからだといいます。人に逆らわず、耐えることが善で、人に抵抗して争うことが悪という見方が強化されて、夫から逃げてはいけない、耐えなければならないと思うようになるのです。そして自分が親になったときも、我慢ができずわがままを言う子どもが許せなくて、こどもに暴力を振るうようになるのです。いわゆる虐待の連鎖です。
(第三章「虐待されて育った子は「善と悪が逆」になっている」)

 軽度の発達障害の母に育てられた娘は、衣食住こそ足りたものの、母親に愛情をもって育てられることがなく、おいしさや楽しさや喜びを親から教わることがなかった。他人と一緒にいるという存在の感覚を覚えずに育ってきた。だから大人になった彼女は普通の人が楽しい、嬉しいと思うことに素直に共感できず、孤立感や、普通とは違うという感覚を漠然と感じています。
(第四章「親とのつながりを持てなかった子の不思議な訴え」)

 そして第五章では、髙橋先生が「宇宙期」と名づける、成人期の心の先にあるプロセスについて検討されています。
 それぞれの章で異なったタイプの事例を紹介されていますが、多くの人がそのどれかに心当たりがあるのではないかと思います。

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 この本を読んで、今までの自分の苦しみや生きづらさの原因ってこういうことだったのかと、ストンと腑に落ちました。長くなりますが、私自身の経験と、解釈を書いていこうと思います。
 というのは、わたしと同じように、あるいはそれ以上に苦しみや生きづらさを抱えてきた人がいたら、なにかの救いになるかもしれないと思うからです。勇気を出して自分のことを書きます。

 わたしは二十歳すぎまでずっと、正体不明の不安感や憂鬱なきもち、ときに自殺願望をかかえ、自分の気持ちを誰につたえることもできずに、ただ一人で抱え込んで、だれもわかってくれないんだと涙を流して苦しんでいました。

 いまは立ち直る事ができましたが、この本を読んで、その原因が自分と母親との関係にあったのだと気付きました。


 私の母は感情に左右されやすい人で、幼い頃、私はいつも母におびえ、母を優先して生きてきたのだと思います。それゆえに私の見ている世界や感じていることが母の言葉によって否定されたり、母を守るために自分の感情を抑えたりして育ってきたのだと気付きました。

 母は自分の感情はためらいなく表に出すぶん、子どもが感情を表して泣いたり怒ったりするのは許しませんでした(今もそうですが)。泣いたり悲しんだりすると怒られたし、泣きたいのはこっちだといわれたし、怒ればさらに怒られました。それだけ、自分のつらさを誰かにわかってほしかったのだと思います。
 つまり「いい子」でいることは、感情を表したり意見や文句を言ったりせず、母の思う通りに静かにしていること、あるいは当たり障りのないことだけを言うことでした。そしてわたしはいい子でいようとしました。母に褒められたいのは誰だって一緒でしょう。
 痛いと言っても怒られるくらいなので、母の期待に合わせて自分の感覚を喋っていたと思います。体調が悪くても、自分の痛みではなくて、母親が納得するであろうことを言っていました。風邪を引いたら頭が痛くないのに頭が痛いと言っていたし、実際頭が痛いという感覚を理解したのは思春期以降だったとおもいます。自分の語る言葉と、感じている事実が乖離していきました。
 だから怒りや悲しみ、感じていることや感情は誰かと共有できるもの、言葉にできるもの、表にあらわすことのできるものでありなかったのです。そして黙っている私をみて父は、勝手に私の感情を推測して納得していました。だけどその推測が当たっていることはほとんどなかったように思います。だけど、自分の感情を人には言えないから、それを訂正することはできなかった。ただ一人で、「やっぱり分かってくれないんだ」と諦めていました。辛いのにその辛さを分かって貰えないのって、さらに辛いですよね。
 人と負の感情を共有できないから、ただ一人、布団やぬいぐるみにぶつけ、人知れずこっそり泣くことしかできなかった。辛いときに辛いと言えるのはお気に入りのぬいぐるみだけでした。だからお気に入りのぬいぐるみはボロボロです。今も捨てられずにいます。
 私がぬいぐるみをボロボロにして救われたのと同じように、母もまた子どもの感情を抑えて自分の辛さを表現することで救われていたのだとおもいます。それだけ、母には守りたい何かがあったのだと思います。

 私は感じていること、思っていること、感情を言葉にしないで、自分の中で閉じ込めていくことを学びました。それらは、安易に他人に対して打ち明けられるものではなかったし、言っても分かっては貰えないものだと思っていました。だから親友に対してでも、自分の本音を喋ることはできなかった。それを言葉にすることは、分厚い壁のようなものがあって、本当に勇気の要ることでした。恋心を打ち明けるようなものです。だから私の喋ることとはネットで仕入れた情報の受け売りや誰かの悪口や見たり聞いたりした事実など、ほんとうにつまらないものだったと思います。そして、言葉と事実や感覚が乖離しているので、友達に対しても平気で嘘をついていました。



 ところで子どもにとって親というのは正しいものです。親の喋ることやすることが、この世界において正しいことだと思うんです。だから親の言っていることと事実が矛盾していると、子どもはとても混乱します。髙橋先生だけでなく、以前からこういうダブルバインド(メッセージと、それに付随する要素の矛盾)の経験はスキゾフレニア(統合失調症、分裂病)などの心の病と関係があるとされていました。
 わたしもそうでした。痛いと痛くないと言われたのは前にもブログに書いた通りです。自分の感覚を母の言葉で否定されることは日常的にありました。
 母が口を開けてクチャクチャいわせて物を食べているので私も同じようにしていると、「口開けて噛まない!」と怒られたり。同じことをしても母の機嫌によって褒められたり怒られたり。母の機嫌が悪いときには話しかけただけで「何よ!?」ときつく返され、黙り込んでいると「用もないのに話しかけるな」と言われたり。こうしたダブルバインドに直面すると、どちらが正しいのか分からなくて困惑します。どう処理して良いのかわからないもやもやだけが自分の中で蓄積していきます。


 私のなかに閉じ込められた思いは、狭くて換気の悪いところに閉じ込められて、発酵し、時に腐敗し、増長し、外に出ることもないまま、私の中だけで異臭を放って、私を悩ませていきます。人に言えない思いはたまり溜まって、急に爆発して、突然部活を辞めたり、学校に行かなくなったり、高校を辞めたりしました。だけどその背後にある感情は、決して親に対しても友達や先生に対しても話せることではありませんでした。私自身でも、なぜ辛いのかわからない、言葉にできない辛さでした。
 小学生の頃は不登校になりました。突然学校に行きたくなくなり、友達が迎えに来て腕を引っ張られても行きませんでした。なぜだかわかりません。
 中学生の頃は、自分の考えは他人にぜんぶ伝わっているという妄想に取り憑かれて、他人の笑い声がみんな自分を笑っているように思えました(よくあるスキゾフレニアの症状ですね)。
 高校時代は正体不明の不安感にとらわれ、つねに憂鬱でした。ずっと自殺願望にとらわれていました。

 だけどこうした苦しみは決して人に話すことはできませんでした。優しい友達は、何でも話していいと言ってくれたし、それは頭では理解できることだったけれど、実行に移すのはとても勇気の要ることでした。そして自分の気持ちは他人には分からない、と思っていました。
 高校時代に一人だけ、本当に気の合う友達に恵まれました。だけど彼女に対して、どう自分の思いを扱ったらいいのかも分からなくて、結局は一方的な思いをぶつけて傷つけてしまうだけでした。
 

 本当に辛かった17歳のとき、最後の場所として選んだのが小笠原だったのです。当時は携帯の電波もないところに、家出して出掛けていきました。ここで生きる希望が見つからなければ帰りの船で死のうと思っていました。今考えればとても迷惑な話ですよね。

 なぜ小笠原だったのかはわからないけれど、結果としてこの家出は私を救いました。多くの人に出会い、多くの生き方に出会うことが、辛さを超えるだけの喜びを与えてくれたからです。旅仲間や島の人と語り合い、飲んだくれるだけの一ヶ月でしたが、それだけで本当に楽しかったのです。生きるって本当は楽しいことなんだとわかりました。私は私らしく生きていていいんだと気付きました。抑圧されていた自分の感覚に、正直になることを学び、解放されていったのだと思います。
 この家出がなければ私の人生は悲惨だったでしょう。なぜだかわからないけど行き先は小笠原だった。これは島に「呼ばれた」のだと、今でも思っています。


 もちろんこの経験だけで私の全てが救われた訳ではありません。私が今日まで深刻な「心の病」にならずに生きてこられて、母親の呪縛から救われたのは、島で出会った人々に助けられただけではなくて、日頃から近くにいて支えてくれた大切な友達がいたこと、旅や行きつけの喫茶店や飲み屋という逃げ場を見つけたこと、母の影響が深刻な病を生むほど強くなかったこと、禅を実践して自分の心との向き合い方を学んだこと、私自身のちゃらんぽらんな性格、などがあったかと思います。それだけ私は運がよかったし、出会いに恵まれていたのだと思います。感謝しています。




 そして今、私と同じように育った、私の兄と妹は、うつ病を抱えています。兄は大学に行けなくなり医学部を4回留年して、もう一度でも留年したら退学になってしまいます。妹は仕事に行けなくなり、実家に戻って療養中です。私はいまだに、彼らに対してどう向き合っていいのかわかりません。日頃からほとんど喋らない家族なので、声を掛けるだけでも勇気が要ります。何を喋ったらいいのかさえ分からない。
 むしろ私は鬱々とした自宅に居場所のなさを感じて、なるべく大学の図書館にいたり、早朝の誰も起きないうちに起きて一人の時間を作っていました。辛いときは一晩中飲み歩いて翌朝大学に行ったりしていましたが、もちろんそんなことを続ける体力もお金もありません。


 でも、今は大丈夫です。私のことを心配する必要は全くないです。自分の感情の原因も、それとの向き合い方も知っているし、必要になったときには真剣に話を聞き、理解して傍にいてくれる友達もいるからです。自分の感情も、上手にではないけれど表現することを、ここ数年で身に付けてきています。喋るのは相変わらず苦手ですが、書くことが私を支えています。失われた自分の言葉を取り戻しつつあります。
 心配なのは兄妹と両親、そしてかつての私と同じように、あるいはそれ以上に苦しみや生きづらさを抱えている人たちのことです。

 そしてまた、当然のことながら、このことで母を責めるつもりも恨むつもりもありません。母はそれだけ何か大きなこと、やりきれない感情を抱えてきたのでしょう。母は生まれてすぐに自らの母を亡くし、厳しい継母に育てられてきましたし、自分の長男(私の兄)も幼い時に亡くしています。その母が抱えている苦しみは、私には想像も及びません。母は私たちに救いを求めていたのだと思います。そして辛さを抱えながら私たち兄弟を育ててくれたことには感謝をしています。


 わたしがこうして、自分のことを勇気を出して書いたのは、これを読んでくれた人たちや、その周囲の人たちのなかに、もやもやした苦しみや悲しみや辛さや生きづらさを抱えている人がいて、そのもやもやが少しでもはっきりせて解決への道筋を見つけることの助けになれば幸いだと思ったからです。答えを見つけることや、解決することは難しいかも知れないし、私の言葉がどれだけ貢献できるかわかりませんが、なにかの役に立てば幸いです。
 ひとそれぞれ何かしら苦しみや生きづらさを抱えていて、またそれぞれ家族となにかを抱えているかとも思います。その生きづらさの原因が、じつは親子の関係にあるのかもしれない、ということに気付いてくれる方が少しでもいれば、幸いです。
 この本で書かれているのは、私のような抑うつや不登校、引きこもりだけでなく、自分は普通の人とは何か違うという孤立の感覚や、我慢と拒食症・過食症、家庭内暴力や虐待などさまざまです。どこかに自分と似たような経験を見出す方も多いと思います。少しでも生きづらさや苦しさを感じていて、その原因がわからずもやもやしている方がいらっしゃったら、ぜひ読んでいただきたいです。


 ご参考までに、この本の著者の髙橋先生は麹町で風の木クリニックという診療所を開設してカウンセリングを行っていらっしゃいます。


 最後まで読んで下さり本当にありがとうございました。ご感想など寄せていただければうれしいです。



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