西荻で何が起きているのか
突然だが、西荻窪が好きだ。
荻窪でも高円寺でも、もちろん吉祥寺でもなく、西荻窪。
名前からしたら、荻窪の付属品というか盲腸というか、爪の垢くらいの存在感しかない。新宿から中央線に乗ったら中野高円寺阿佐ヶ谷荻窪、その次が吉祥寺かと思ってたのにまだ一駅あった…。それくらいの影の薄さだと思う。休日は快速停まらないし。
ところで私の生まれた奈良県橿原市には八木西口という駅がある。八木駅の西側すぐ、30秒くらいのところにある駅で、これは本当に八木駅の付属品だ。八木駅の構内にあるという扱いらしい。
Paul Smithのスニーカーを買うと、靴紐が二組ついてくるんだけど、八木西口なんてこの予備の靴紐程度の意義しかない。。。
それに比べたら西荻も立派なもので、付近の住所も「西荻南」「西荻北」となっており、「西荻」で一つの独立した区域なのだ。
名前がよくない。南スーダンみたいな、スーダンなのか独立国なのか分からない立ち位置。デニス・チェンバース(サンタナのドラマー)が、サンタナのメンバーなのか、カルロス・サンタナのバックバンドなのか分からない感じですね。ザ・ハートブレイカーズがトムペティの付属品みたいな。。。。
でも西荻っていい町で、まず高いビルがないし、チェーン店(特に居酒屋)も少ない。(これがいい町の基準だと思わない人も多いんだろうな。そういう人はここから先は読まなくていいです。)
あるのはこぢんまりした個人経営の店で、南口には小さい居酒屋がわちゃわちゃしていて、アンティーク屋と古本屋とカフェとカレー屋とパン屋と、小規模な小洒落た飲食店が多い。本屋もカフェを兼ねたものだったり、特定のテーマの本を集めたお店だったりと個性的だ。
町自体がこぢんまりとのんびりゆったりしていて、散策するのが楽しい。
と、こういうことを友達に力説しても、大体返ってくるのが「へーぇ。もっと中央線散策してみようかな」とか。
そうじゃないんだ。吉祥寺とも高円寺ともぜんぜん違う西荻を分かってほしいのに…
「このアルバムいいよ」って言ってJonathan Scales FourchestraのCDを貸したのに、「Jazz(あるいはスティールパン)っていいね 」って言われるようなものだ。
なぜだろう?考えられる可能性が以下。
1.私の説明が下手
2.彼らの理解力がない
3.西荻がそもそも魅力的ではない
4.分かる奴にしか分からない
そう、西荻の良さなんて分かる人にしか分からないのだから、分からない奴は吉祥寺でわいわい騒ぐなり、高円寺でしみじみ飲むなり、荻窪で優雅な時間を過ごしていればいいのだ。
で、ここからが本題なのだが、最近西荻窪に変化が起きている。
というのも、先学期取っていた授業で身近な所でフィールドワーク(現地調査)をする機会があり、ただ単に西荻が好きだという理由で、気になっていたお店と、顔なじみのお店いくつかを訪ねたのだが、そこで聞いた話がなかなか興味深かった。
しかし、調査のために聞いた話はここには載せられないので、私の実感と、Twitterで集められる情報だけを元に書きますね。
私が西荻に通い始めたのは…いつだっけ。大学に入る前で、たぶん三年以上は前なのだが、その頃は結構中年〜年配の人が多かった。
去年くらいから、急に若い人が増え始めて、しかも今までいなかったカップルがその辺をデートしてるっていう光景がよく見られるようになった。吉祥寺にでも行ってればいいのに…
それはいいのだが、彼らはほとんど物を買わない。お世話になったお店の人なんかはよくTwitterで、一時間に2〜30人来店しても、みんな若い人やカップルで、全然商品が売れない、なんて嘆いている。私もよく馴染みのお店で店主や店員さんと長話するのだが(それができるのも西荻の魅力だ)、その折に見ていても、若い人は本当に何も買わず、店の中をぐるっと一周して、出て行ってしまうことが多い。気になった商品を手にとって見たりもしない。買うのは前から西荻にいた中年以上の人達で、それらも最近減少傾向にある気がする。
一体、西荻で何が起こっているんだろう?
調べてみると、去年から西荻がメディアに注目されるようになった。2月には雑誌のHanakoで西荻と吉祥寺の特集が組まれたし、ほかにも雑誌のムックが出たり、テレビで取り上げられたのも2回か3回見た(私が見たくらいだから、実際にはもっと出てるんだろう)。
突然あるお店に行列が出来たりとか、わりと好きだった料理屋では予約が取れなくなる程混雑するようになった。。
にもかかわらず、店では物が全然売れていない。何故?
私が思いついた理由は二つ。(どっちか一つとかではないと思うし、もっとあるだろう)
1.町自体が注目されているが、物に興味はない(あるとしてもテレビで取り上げられたものだけ)
2.物を買って所有すること自体への興味が薄れている。
まず一つ目から。
西荻の町が面白い町だと思われるようになった。
本来、店というのは物を買うための場なのだが、町自体が目的となった。つまり、本来”消費の場”であるべきところが”消費される場”になるという倒錯現象が起きているのではないか。西荻窪で散策して、面白いお店を覗いて、まあお茶くらいはするのかもしれないけど。そういう地域性の方が問題なのだとしたら、確かに物を買う必要はないよなぁ。
実際にはテレビで扱われたレストランとかには人が並んでいる。ただこれは、西江雅之さんの言葉を借りれば「ことばを食べる」ということだと思う。食べるのは単に栄養の摂取ではなくて、そこに込められた物語を消費することでもある。30分並んでやっと食べられたもの、とか、あの芸能人が食べたのと同じ物、とか。そういう特別な意味が込められたから消費するのだ。
結局のところ、店を見て歩くにしろ、メディアで紹介された物を買うのにしろ、西荻窪という文脈の物語(narrative)を紡ぎ、消費していることなのだと思う。物を買うとか買わないは問題ではないのだろう。
二つ目。
最近は物を持たない生活が流行っているのだという。CDを買うよりライブで楽しむとか、そういうライフスタイルだ。いわゆるミニマリストというやつですね。私は読んでないけど、そういう本も結構出ている。これとかこれとかこれとか。読んでないので、何も言えないんだけど…
ただ、本当に持つことに興味がないのだとしたら、一応商売の場所であるお店に入ることについて後ろめたさとかないのかなぁ?
ともかく、問題はどうしたらいいか、ということになる。
①に則って考えるなら、この流れは一過性だから、今いくら対策をしたところで無駄ということになる。
②だとしたら、こういう生き方が増えてきて、今後の消費社会の主流になる傾向なので、それに合わせてお店を変えていかなければ生き残れない。。。物を売るのではなくて、参加型のイベントの場所にするとか。
ここまで考えてきて言うのもなんですが、私はクリエイティブなアイデアとか出せないので、対策を考えたりはしないんですが、アイデアあったら教えてほしいです。
あと、西荻は素敵なお店が本当にいっぱいあるので、なくなったら寂しいんで、訪れた際にはみなさんにも、お店を潰さないためにも、少しでも何か買っていただきたいなぁ。なんて思います。。。
荻窪でも高円寺でも、もちろん吉祥寺でもなく、西荻窪。
名前からしたら、荻窪の付属品というか盲腸というか、爪の垢くらいの存在感しかない。新宿から中央線に乗ったら中野高円寺阿佐ヶ谷荻窪、その次が吉祥寺かと思ってたのにまだ一駅あった…。それくらいの影の薄さだと思う。休日は快速停まらないし。
ところで私の生まれた奈良県橿原市には八木西口という駅がある。八木駅の西側すぐ、30秒くらいのところにある駅で、これは本当に八木駅の付属品だ。八木駅の構内にあるという扱いらしい。
Paul Smithのスニーカーを買うと、靴紐が二組ついてくるんだけど、八木西口なんてこの予備の靴紐程度の意義しかない。。。
それに比べたら西荻も立派なもので、付近の住所も「西荻南」「西荻北」となっており、「西荻」で一つの独立した区域なのだ。
名前がよくない。南スーダンみたいな、スーダンなのか独立国なのか分からない立ち位置。デニス・チェンバース(サンタナのドラマー)が、サンタナのメンバーなのか、カルロス・サンタナのバックバンドなのか分からない感じですね。ザ・ハートブレイカーズがトムペティの付属品みたいな。。。。
でも西荻っていい町で、まず高いビルがないし、チェーン店(特に居酒屋)も少ない。(これがいい町の基準だと思わない人も多いんだろうな。そういう人はここから先は読まなくていいです。)
あるのはこぢんまりした個人経営の店で、南口には小さい居酒屋がわちゃわちゃしていて、アンティーク屋と古本屋とカフェとカレー屋とパン屋と、小規模な小洒落た飲食店が多い。本屋もカフェを兼ねたものだったり、特定のテーマの本を集めたお店だったりと個性的だ。
町自体がこぢんまりとのんびりゆったりしていて、散策するのが楽しい。
と、こういうことを友達に力説しても、大体返ってくるのが「へーぇ。もっと中央線散策してみようかな」とか。
そうじゃないんだ。吉祥寺とも高円寺ともぜんぜん違う西荻を分かってほしいのに…
「このアルバムいいよ」って言ってJonathan Scales FourchestraのCDを貸したのに、「Jazz(あるいはスティールパン)っていいね 」って言われるようなものだ。
なぜだろう?考えられる可能性が以下。
1.私の説明が下手
2.彼らの理解力がない
3.西荻がそもそも魅力的ではない
4.分かる奴にしか分からない
そう、西荻の良さなんて分かる人にしか分からないのだから、分からない奴は吉祥寺でわいわい騒ぐなり、高円寺でしみじみ飲むなり、荻窪で優雅な時間を過ごしていればいいのだ。
で、ここからが本題なのだが、最近西荻窪に変化が起きている。
というのも、先学期取っていた授業で身近な所でフィールドワーク(現地調査)をする機会があり、ただ単に西荻が好きだという理由で、気になっていたお店と、顔なじみのお店いくつかを訪ねたのだが、そこで聞いた話がなかなか興味深かった。
しかし、調査のために聞いた話はここには載せられないので、私の実感と、Twitterで集められる情報だけを元に書きますね。
私が西荻に通い始めたのは…いつだっけ。大学に入る前で、たぶん三年以上は前なのだが、その頃は結構中年〜年配の人が多かった。
去年くらいから、急に若い人が増え始めて、しかも今までいなかったカップルがその辺をデートしてるっていう光景がよく見られるようになった。吉祥寺にでも行ってればいいのに…
それはいいのだが、彼らはほとんど物を買わない。お世話になったお店の人なんかはよくTwitterで、一時間に2〜30人来店しても、みんな若い人やカップルで、全然商品が売れない、なんて嘆いている。私もよく馴染みのお店で店主や店員さんと長話するのだが(それができるのも西荻の魅力だ)、その折に見ていても、若い人は本当に何も買わず、店の中をぐるっと一周して、出て行ってしまうことが多い。気になった商品を手にとって見たりもしない。買うのは前から西荻にいた中年以上の人達で、それらも最近減少傾向にある気がする。
一体、西荻で何が起こっているんだろう?
調べてみると、去年から西荻がメディアに注目されるようになった。2月には雑誌のHanakoで西荻と吉祥寺の特集が組まれたし、ほかにも雑誌のムックが出たり、テレビで取り上げられたのも2回か3回見た(私が見たくらいだから、実際にはもっと出てるんだろう)。
突然あるお店に行列が出来たりとか、わりと好きだった料理屋では予約が取れなくなる程混雑するようになった。。
にもかかわらず、店では物が全然売れていない。何故?
私が思いついた理由は二つ。(どっちか一つとかではないと思うし、もっとあるだろう)
1.町自体が注目されているが、物に興味はない(あるとしてもテレビで取り上げられたものだけ)
2.物を買って所有すること自体への興味が薄れている。
まず一つ目から。
西荻の町が面白い町だと思われるようになった。
本来、店というのは物を買うための場なのだが、町自体が目的となった。つまり、本来”消費の場”であるべきところが”消費される場”になるという倒錯現象が起きているのではないか。西荻窪で散策して、面白いお店を覗いて、まあお茶くらいはするのかもしれないけど。そういう地域性の方が問題なのだとしたら、確かに物を買う必要はないよなぁ。
実際にはテレビで扱われたレストランとかには人が並んでいる。ただこれは、西江雅之さんの言葉を借りれば「ことばを食べる」ということだと思う。食べるのは単に栄養の摂取ではなくて、そこに込められた物語を消費することでもある。30分並んでやっと食べられたもの、とか、あの芸能人が食べたのと同じ物、とか。そういう特別な意味が込められたから消費するのだ。
結局のところ、店を見て歩くにしろ、メディアで紹介された物を買うのにしろ、西荻窪という文脈の物語(narrative)を紡ぎ、消費していることなのだと思う。物を買うとか買わないは問題ではないのだろう。
二つ目。
最近は物を持たない生活が流行っているのだという。CDを買うよりライブで楽しむとか、そういうライフスタイルだ。いわゆるミニマリストというやつですね。私は読んでないけど、そういう本も結構出ている。これとかこれとかこれとか。読んでないので、何も言えないんだけど…
ただ、本当に持つことに興味がないのだとしたら、一応商売の場所であるお店に入ることについて後ろめたさとかないのかなぁ?
ともかく、問題はどうしたらいいか、ということになる。
①に則って考えるなら、この流れは一過性だから、今いくら対策をしたところで無駄ということになる。
②だとしたら、こういう生き方が増えてきて、今後の消費社会の主流になる傾向なので、それに合わせてお店を変えていかなければ生き残れない。。。物を売るのではなくて、参加型のイベントの場所にするとか。
ここまで考えてきて言うのもなんですが、私はクリエイティブなアイデアとか出せないので、対策を考えたりはしないんですが、アイデアあったら教えてほしいです。
あと、西荻は素敵なお店が本当にいっぱいあるので、なくなったら寂しいんで、訪れた際にはみなさんにも、お店を潰さないためにも、少しでも何か買っていただきたいなぁ。なんて思います。。。
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