『新明解国語辞典 第八版』を引き比べてみました
「日本で一番売れている国語辞典」として知られる『新明解国語辞典 第八版』が九年ぶりの改訂を経て先日(11月19日)に発売となりました。赤瀬川原平の『新解さんの謎』や、「学者芸人」米粒写経のサンキュータツオさんの紹介によって、そのユニークな語釈と用例はよく知られていると思います。
国語辞典は数多く出版されていますが、編集の方針、語釈、用例にそれぞれ個性があります。特に、新語や、使われ方の変化した言葉など、時代の変化にどこまで合わせるかは難し判断になります。言葉が持つ本来の意味を示すことに重きをおく辞書もありますが、新しい言葉や用法を積極的に取り入れる方針の辞書もあります。編集方針や対象年齢によって一つの出版社が複数の国語辞典を上梓することも少なくなく、新明解の版元である三省堂は、新明解以外にも『大辞林』『三省堂国語辞典』『例解新国語辞典』『例解小学国語辞典』『三省堂現代新国語辞典』など多数の国語辞典を出版しています。保守派の典型は岩波国語辞典ですし、フレキシブルに新語を取り入れる辞書といえば三省堂国語辞典でしょう。「エモい」「ディスる」などの俗語を辞書に収録するかどうか、あなたが編集委員ならどう判断しますか?
語釈も辞書によって様々です。特に感情や抽象的な言葉は説明が難しく、それぞれに個性が出ます。たとえば「右」「左」や「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「恋愛」はどう説明しましょう?
用例もまた辞書の見所のひとつです。新明解は日常に使われる言葉を用いた親しみやすい用例が特徴ですが、たとえば『広辞苑』は源氏物語などの古典文学から用例を引用していることが多く、『新潮現代国語辞典』は鴎外や漱石など近代文学からの引用が豊富です。
新明解はユニークな語釈と親しみやすい用例で定評がありますが、今回の改訂では、1500語を新収し7万9000語を収録することになりました(多ければ良い訳ではない)。また、アクセント表記や文法が充実し、全体的な見やすさも改善されたといいます。
わたしの手元には第四版(28刷)と第七版(1刷)がありますが、今回の改訂ではどのような部分が変更されたのか、少し引き比べをしてみました。
時代の変化と配慮
恋愛
新明解といえば「恋愛」が真っ先に想起されます。特に第四版の「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態」という切なくて、切れ味の鋭い語釈は有名です。
第七版では「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」となっています。「合体」が必ずしも恋愛を裏付けているものではなくなっていることがまず指摘できますが、悲観的な印象が減り、少し穏当な語釈になりました。
今回の第八版ではどうなっているでしょうか。「特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、(以下同文)」となっています。変更点は「異性」が「相手」になっているだけですが、多様な性のあり方に対する配慮が伺えます。こうしたマイノリティへの配慮が一般的になったことは時代の変化を感じます。
「恋慕」についても同様に「異性を恋い慕うこと」から「特定の相手を恋い慕うこと」になっていますし、「恋恋」についても「異性に対する恋慕の情を思い切れない様子だ」から「特定の相手に対する(同文)」に改められています。「相合傘」も、第七版では「一本の傘を(相愛の)男女が一緒に差すこと」であったものが、第八版では「(相愛の)二人が〜」に改められました。
男・女
ジェンダー関連で気になっていたことが「男」と「女」でした。
第七版では「男」は「①人間のうち、雄としての性機関・性機能を持つ方。②一人前に成熟した男性。〔狭義では、弱い者をかばう一方で、積極的な行動性を持った男性を指す。〕(以下略)」となっていましたが、第八版では「(前略)弱い者をかばう一方で、積極的な行動性を持つなどの、伝統的・文化的価値観から評価される特質を備えた男性を指す」となっています。
同様に、「女」についても第七版では「狭義では、心根がやさしくて決断力に欠ける面がある一方で、強い粘りと包容力を持つ女性を指す」とされていましたが、「〜持つなどの、伝統的・文化的価値観から評価される特質を備えた女性を指す」となっています。
いずれにしても、第七版ではジェンダーに関する社会通念を無批判に収録していましたが、第八版ではそれを伝統的、文化的価値観として、括弧付きで記述するような配慮がなされています。
良妻・賢母
「良妻」は第七版では「夫の社会活動をささえ、明るい家庭を築く、いい妻」と説明されていましたが、第八版では「(夫の社会活動をささえ、家庭を守る)いい妻。〔多く、封建的・家父長制的な価値観の中で、特に評価され、用いられた〕」と変更されています。
「賢母」は第七版では「我が子を幼い時からきびしくしつけ、すぐれた社会人に育てあげるようにつとめる母親」であったものが、「子の育成・教育において、すぐれて賢明な母親」とされました。また例文が削除され、「良妻賢母」のみとなりました。
いずれの語にしても、具体的な良妻や賢母の像を記述しないことによって性役割分業や性別規範を再生産しないような配慮が取られています。国語辞典はその言葉の使われ方を記述する必要があるので、一般に使われる言葉は収録するべきですが、一方でその語に込められた規範を示し、読者にそのイメージを植え付けてしまいかねないというジレンマがあります。注釈を付けることや、具体的な規範を描かないこと、用例を記述しないことでその問題の解決が図られています。
使われ方の変化した語
言葉は時代が変われば使われ方も変化しますが、ときに新しい用法が「誤用」と言われることもあります。どこからを辞書に載せるのか、また誤用や"俗に"という但し書きをつけるのか、という判断も辞書によって様々です。
敷居が高い
第七版では「不義理なことや不面目なことを重ねてばかりいるので、その家に行って会うことが出来ない気持になる」という本来の意味のみが載っています。第八版ではこれに加えて「〔近年、俗に値段や格式の高い店のことなどについていう場合がある〕」という説明が加えられました。
令和元年度「国語に関する世論調査」では、10代から40代では圧倒的に高級店に入りづらいという意味で使う人が多いという結果が示されていますから、定着していると判断したようです。
憮然
「憮」は立心偏に無、という字のように失意を表す漢字です。第七版では「①自分の力に余ることだから、不満ながらどうしようもないという表情を見せる様子だ②意外な出来事で、ぼんやりする様子だ」という二つの意味が収録されています。第八版では「〔俗に〕むっとした様子だ」という新しい意味が追加されました。
平成30年度「国語に関する世論調査」では中高年を中心に、怒りを表す語として用いる人が多いこと、また近年の調査ほど本来の意味で使う人が多いという面白い結果が出ています。
鳥肌が立つ
慣用句として、本来は寒さや恐怖を表す言葉ですが近年は感激を表す言葉として使われています。第七版では「慣用句「鳥肌が立つ」は、本来の寒さや恐ろしさでぞっとする意から転じて(中略)ひどく感激する意に用いることがある。規範的な立場からは容認されていない。」と書かれていますが、第八版では下線部が削除されました。
確信犯
第七版では「自己の信念に基づき正当な行為と信じて行う犯罪。〔特に、宗教的・政治的な義務感・使命感に基づくものを指す〕」という本来の意味だけが記されていましたが、第八版では「②悪いことであると分かっていながらなされる行為・犯罪。〔②は近年の用法で、本来は誤用〕」という一般的な語釈が加えられました。
よく誤解されることですが、本来の意味は、その行為が自分の信念に照らし合わせて正しいと確信して行う行為です。その行為が違法か適法かを知っているかどうかは問題ではありません。②を誤用と言う人も意外と誤解している人が多いようです。
破天荒
第八版でも第七版と同様「誰もしたことのない事をすること(様子)。〔単に豪快で大胆な性格の意に用いるのは誤り〕」と記されています。科挙試験にその地域から始めて及第者が出ることが語源ですから、それと照らし合わせると性格を表す語としては適切ではないという判断でしょう。慣用句と違って故事成語など明確な語源があるものは厳しい判断になるのでしょうか。
浮き足立つ
第八版では第七版と同様に「不安や恐怖にかられて逃げ腰になり、冷静な行動(判断)が出来なくなる」という本来の意味のみが記されています。これはかなり意外でした。令和元年度「国語に関する世論調査」では年代にかかわらず半数以上、特に若年層では7割が喜びを表す意味として用いています。「憮然」や「敷居が高い」と比べても新しい意味の定着率は高いと思われたのですが、今回は収録されませんでした。
課金
個人的に最も気になっていたのが「課金」の扱い方でした。「課金する」といえば本来はサービスを提供する側が消費者に対価を要求することでしたが、最近では課金型のサービスを購入する意味でも使われるようになったので、国語辞典でどのように扱われるかが気になっていました。実際、最近では新聞でも「課金する」が購入の意味で使われるようになっています。
第八版では「貸借料・使用料などの料金を課すこと。また、その料金。」という語釈。第七版と変わっていませんでした。すこし残念でした。
夜な夜な
最近では夜更けや深夜に及ぶさまを示す語として、「読み始めた小説が面白くて、夜な夜な読んじゃった」のように使われることもしばしばあります。第八版では第七版と同様に「「毎夜」の古風な表現」という本来の意味だけが記載されています。
煮詰まる
料理で使われる言葉の他に、「②会議などで、議論を出し尽くして結論が出せる状態に近づく」という意味があります。〔問題の解決処理に行き詰まる意に用いることもあるが、誤り〕と第七版ではありましたが、第八版でも同様の記述となっています。
配慮不足、認識不足と思われる語
ジェンダーやセクシュアリティに関する語では一定の配慮が伺えましたが、一方で未だに配慮や認識に不足があると思われる語釈もありました。好きな辞書なので残念でしたが、今後の改訂に期待したいと思います。
色盲、色弱
第八版で色盲は「すべて(一部)の色を識別する視力の無い、先天的な目の欠陥。また、その人。」と説明されています。また、色弱は「程度の軽い色盲」と記されています。
かつて色盲や色弱といわれた色の見え方の違い(色覚特性)は、遺伝的な特性で、かつては学校で色覚検査が行われていました。しかし優生学と親和性があり、差別につながったことへの反省もあり、近年では多様な色の感じ方のひとつとして認識されるようになっています。こうした特性を持つ人には、多くの人が認識していない色の違いを感じる人もおり、色を識別する視力が「無い」と表現することも適切ではないと思われます。こうした遺伝的な特性を「欠陥」として定義することは非常に危ういものであると感じます。次の改訂での扱いに期待したいと思います。参考文献として川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会 ─2020年代の「色覚」原論』(2020年、筑摩書房)を挙げておきます。先日のTBSラジオ荻上チキ・Sessionでも特集され、その扱われ方や差別の歴史と今日的な問題が丁寧に説明されています。
ホームレス
第八版では「住む(帰る)ことの出来る家がなく、公園や地下道などに寝泊まりしている人」と書かれています。しかし近年ではホームレスは属性ではなく、様々な事情により定住する住居を失った状態ととして認識されるようになっています。そしてホームレス状態にある人の生活も様々で、寝泊まりする場所は公園や路上や河川敷ばかりでなく、知人宅やネットカフェ、カプセルホテルなど様々ですから、「公園や地下道などに寝泊まりしている」という説明はかなりステレオタイプと言わざるを得ません。また、ホームレス状態にある人を指して「ホームレス」という場合、侮蔑的なニュアンスが含まれることもあり、注意が必要です。
安楽死
第八版では「植物状態になる以前の患者の意志により患者の生命維持装置を外したり、激しい痛みに苦しむ患者に劇薬を投与したりすることによって患者が死ぬこと。通常前者を「尊厳死」、後者を狭義の安楽死として区別するが、後者は未だ多くの国で合法とは認められていない。」という語釈です。第七版では下線部が「必ずしも」でした。
これはいくつかの問題があります。まず、安楽死の対象は回復の見込みがなく、激しい苦痛の治療が困難な終末期の患者です。それ以外の患者や障害者を死に至らしめることは単なる殺人ですから、ここは明記しておくべきだと思います。
前者のいわゆる「尊厳死」(消極的安楽死)は、事前の意思表示によって余計な延命治療や単なる生命維持を行わないことです。一度装着した生命維持装置を「外す」ことは積極的安楽死にあたる可能性があります。そもそも、事前の意思表示があれば生命維持装置を装着しないはずですから、「外す」ということは原理的にあり得ません。
また、事前の意思表示は「植物状態になる以前」ではなく、正常な判断と意思疎通が可能な状態に行われなければなりません。植物状態でなくても、譫妄や強い抑鬱などの症状が見られればその判断は正常とは認められないからです。
安楽死を議論するにあたり、対象患者の状態やその手法、行為者が明確に定義されていないと倫理的に違った相にある問題を区別できません。もちろん一般的に「安楽死」という言葉が用いられる場合、終末期患者に限らない使い方をされることもありますが、それは通俗的な使い方として区別すべきだと思います。なお安楽死についてはこちらの記事で詳しく書いてありますので、関心がありましたらご一読いただければ幸いです。
その他の語釈の変化
忖度
第七版では「自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること」というシンプルな説明でしたが、第八版ではそれに加えて「〔近年、特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられることがある〕」という文言が追加されました。例文として「政治家の意向を忖度し、情報を隠蔽する」という一文が収められています。記述が厚くなりましたが、喜ぶべきことではないでしょう。近年で最も傷付いた言葉のひとつだと思います。
介護
「介抱看護」の略だそうです(知らなかった……)。第七版では「衰弱しきった病人・けが人や重度の身体障害者、また寝たきり老人などに常時付き切りで、その生活全般の面倒を見ること」という語釈が付いています。第八版では「病人・けが人や身体障害者、また高齢者などに医療・看護の支援を行ったり 日常生活の面倒を見たりすること」と改められました。対象が重度で衰弱した人だけでなく広く病人や怪我人となり、「常時付き切り」という文言も削除されました。「医療・看護の支援」が追加され、生活「全般」ではなくなりました。第七版では救いようのない人への献身的な労働というニュアンスがありましたが、穏当で実態に即した定義に改められました。
優性・劣性
遺伝学の「優性・劣性」は、その遺伝的な性質が優劣を意味するという誤解があることから、「顕性・潜性」に改められました。国語辞典ではどのような表記に変わったのでしょうか。
第七版で「優性」は「遺伝する性質のうち、次の代に必ず現れるもの」、「劣性」は「〔遺伝で〕すぐ次の代ではその性質が現れないこと。また、その性質」という語釈でした。
第八版では、「優性」「①他に比べてすぐれた性質(のもの)②⇒顕性」として、①で一般的な語としての意味が記され、遺伝学上の語は「顕性」に引き継がれています。「顕性」の項目には「旧称、「優性」」が付記されています。「劣性」も同様の変更が加えられています。
盛る
第七版には「①山の形に積み上げる」など5つの語釈が載っていましたが、第八版から「⑥〔俗に〕大げさに飾り立てたり、化粧を濃いめにしたりする」が加えられました。用例には「髪を盛る/話を盛る/盛って合コンに行く」が収められています。
新たに収められた語
第八版ではIoT、インスタグラム、ダイバーシティー、ソウルフード、煽り運転、を始め多くの語が収録されました。コロナウイルス、クラスター、テレワークなど新型コロナウィルス関連の語も収められており、ギリギリまで調整が続いたものと思われます。実際に皆さんに辞書を引いて確認していただきたいと思いますが、ここでは3つだけ紹介しましょう。
親爺ギャク
「〔おもに中年男性が〕気の利いたことを言おうとして発する言葉遊び。多くの場合かえって顰蹙を買う。「許してちょうだい」を「許してちょんまげ」という類」という語釈が付けられました。新明解らしくユニークで辛辣です。
同調圧力
「集団の中で、常にまわりと同じように考え、振る舞わなければならないと感じ、そのような行動をしないではいられない、逃れがたい雰囲気。」用例として「出る杭は打たれるという同調圧力」「忖度も自主規制も、その根本には社会の強い同調圧力があると言われる」が挙げられています。例文にキレがあり、忖度がないのが新明解らしさのひとつです。
ヘイトスピーチ
「特定の人種・民族性・政治信条の人びとに向けてなされる、憎悪に基づく言論。デマ・捏造・誇張に基づいた偏見・差別・憎悪を煽り、社会の分断をはかる卑劣きわまる言動や活動」と説明されています。そうです。いいですか。卑劣きわまる言動です。覚えておきましょう。
さいごに
ここでは特にわたしの関心に基づき、特に気になった語を紹介してみました。また面白い発見があれば随時加筆していきたいと思います。国語辞典の面白さが伝わったら嬉しいと思います。来月には大修館書店より『明鏡国語辞典 第三版』が発売予定です。新語や新用法も積極的に収録する方針で、誤用を付記することで正しい使い方が分かる辞書としても定評があります。それぞれに個性と面白さがある辞書の魅力が分かってもらえたら、ぜひ本屋に行って購入してみてください。新明解は通常の赤版に加えて青版、白版、革装版、小型版があり、大きい版も製作中とのことです。数ある国語辞典からお気に入りを見つけてもいいし、全部買ってもいいでしょう。普段何気なく使っている言葉に関心を持ち、その奥深さと面白さを味わってもらえたら、わたしは嬉しい。
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