ひさびさに電車とバスを乗り継いで、いつもの本屋を巡った。大型書店にはいつも行っているけど、それはわたしにとって「いつもの本屋」ではない。居酒屋チェーンを「いつもの店」とは呼ばないでしょう。わたしはチェーン店を居酒屋と呼ぶことにも抵抗があるが。

〈不要不急〉を失って好奇心も向上心もすり切れる生活からなんとか抜けだし、少しずつ日常を恢復しようとするいま、改めて本屋の時間と空間は、この上なくありがたく感じられる。店主の選書が頼れる本屋で、自分では見つけられなかったであろう良い本を見つける時は至福だし、旅の本は旅の本屋で買うのがいい。情報交換をしたり店主の話を聞いたりするのが楽しみであって、そしてなによりも、街の本屋がなくなると困る。

アマゾンではなるべく本を買わないようにしているけれど、それ以上に、アマゾンがリコメンドしてくる本で、こんな本あったんだ、買ってみよう、なんて思ったことは、おそらく一度もない。書店員の〈棚を作る〉という技術に、AIが追いつかないだけであと2、3年もすれば追いつくだろうと思い続けてもう5年は経つだろうか。未だにアマゾンはわたしにとって、レビューを見てその本がどんな人に支持されているのかあるいは嫌われているのか、をチェックするくらいの機能しかしていない。とりわけ、馬鹿丸出しな人が酷評している本などはかえって信用できる。たとえば石川優実さんの本へのレビューなんて……

いや、もちろんアマゾンが素晴らしいのは知っている。通勤や通学の途中に、書店に立ち寄ることができるのは、全国規模でみたらむしろ少数派なのだろう(実際にそれをする人はもっと少数派だ)。誰でも等しい値段で本を買えること、それが再販制の意義であって、アマゾンは知の地域格差を埋める役割をしていることは、意外と本好きな人にこそ知られていないけれど、これは重要なことで、アマゾンが潰れたら日本の出版文化が潰える。だけどアマゾンが全てじゃない。棚には個性が出る。程度の差こそあれ、それは大型書店でも駅前やロードサイドの書店でも、個人書店でも同じだ。古本屋ならそれに店の専門性と客の質が加わる。だからいろいろな本に出会うために、棚の多様性もまた、残されるべきなのだと思う。

棚は知の見取り図なのだ。残念ながらいまのところ、デジタルでそれを再現することは、アマゾン以外のオンライン書店でも、実現できていない。あまり売れていない本と出会うのはオンラインだとむしろSNSの方が多いのだろうけど、それだって話題になるような類の本でなければ見つけられることもないだろう。個人がヴァーチャルで棚を作れるようなサービスがあったら、きっと面白いだろうな。リアル書店で個人が棚を作れる店はあるけれど、棚が小さいのが少し難点でもある。

とある小さな、とても小さな書店の店主と久しぶりにお話しして、しばらくお見えになりませんでしたね、と。わたしは、しばらく国を離れていまして、と言った。その間日本ではファシズムが渦巻いていましたよ、それから熱い何かが、吹き出しそうになったんだけど、それもどこかにいってしまいました、と言った。彼の言ったすべてに同意するわけではないけれど、わたしも政治への強い懸念と不信を語った。いまこんなことを、躊躇いなく話すことができる本屋があること。それってすごく大切なことだ。

自分の生活を、守るための政治について話すことは当たり前なのに、そんな当たり前のことさえも、話すと白けてしまったり、馬鹿にされたり、気まずくなったりする。本屋のあとは、顔なじみの小さなギャラリーに寄った。作品を生で見るのも久方ぶりだ。しかしギャラリーのご主人とはアート以外のことのほうに、話す時間を使った気がする。日本を離れてみていかに、この国が見えていたかということ。彼も、これだけ政治を信頼できない事態で、若い人たちってどういうふうに捉えているのだろう、と言った。

わたしに若者を代弁する資格はない。若い人たちが政治をどう捉えているのかも、よく分かっていない。しかし確実に言えるのは、心理学でいうところの「学習性無力感」が植え付けられていることだろうか。内閣を支持する理由でもっとも多いのが「他よりよさそう」だということ。それは支持じゃなくて妥協だと、書いたのはたしか武田砂鉄さんだったとおもう。だけど妥協で現状を是認することが、常態化している。これって絶対におかしい。

本には信念が宿る。それが私の信念と異なるからといって、読むことを退けたりはしない。嫌いでも受け容れがたくても読んでみる。その上で、何が正しくて何が間違っているかを判断する、間違えが見つけられなければ、悔しいけど認めるしかない。闊達であること、それが知性の条件だと思うから。最初から読まないと決め込むことは、知性とは最も遠い立場だ。

本屋には知を提供する場であってほしい。それができるだけ多くの本を不足なく提供する大型書店であれば、満遍なく渉猟できるようにしておくのが適切であるとも思う。強い信念のある街の本屋で、わたしたちの政治の話ができることもきっと、この社会を自由に保っていくために、大切なことだと思う。そういう場所がもっと、必要なのだとおもう。

コメント