できるならなにも遮断せずに生きたい。

たとえば、昨日と違う、朝の空気の匂いが、季節の変わり目を教えてくれることとか。

すれ違ったベビーカーの子供の、驚いた表情。散歩する犬の首輪についた鈴の音。突然の暖かさに驚き戸惑いつつ、春を歌う鳥の声。髪を揺らす風。住宅街に吹く風に乗った、どこかの家の朝ご飯の、焼き魚の匂い。

生まれても一瞬で消えてゆくだけの、小さなもの全てが、わたしにはいとおしく、うつくしい。
日常のなかにも、ちいさな美しさを汲み取ることができれば、見慣れた風景も、決して見慣れたりはしない。


マスクをするのは嫌い。頬に当たる風や、空気の匂いを遮るから。
帽子は好きだけど、帽子をかぶるのは嫌い。そのぶんだけ届かなくなる光、狭くなる視界。感じられなくなる空気の冷たさ。もしかしたらそこに、見落としてしまう小さな感動があったかもしれないのに。
手袋をしてたら感じられない、指の間を吹き抜ける風。
自分の脚で歩かないと見えてこないもの。路地裏に差し込む西日。駆け回る子供の声。小さなパン屋。
眼鏡の薄い硝子にさえ跳ね返される、立春のやさしく力強い光。二月の日差しはあたたかい。
携帯に目を奪われていたら見えてこないもの。住宅の向こうに揺れる木の、てっぺんの枝。信号待ちの寒い空の向こうに、星がちらついていること。娘に話しかけるお母さんの、声は聞こえないけど、安心と幸福に満ちた表情。
首元を冷やす風ですら、遮るのが惜しいほど、季節は愛おしい。


できるならなにも遮断しないで生きたい。

イヤホンをしていたら聞こえない音を聞きたい。鳥の声でも、エンジンの音でもいい。自慢し合う中学生の声、電話口で平謝りするサラリーマン、転がる空き缶の音、誰かの携帯のバイブ。
ぼんやりと、遠くにいる人のことを考えていたら、気にも留めないかもしれないもの。銀杏の色づき。電工表示板の不具合。
心配事に心を奪われる。そのときには、目の前の風景は見えていない。

日本美術の先生が言ってたこと、
"If your mind is not here, you are nowhere."


目の前の世界に、完全に浸っていたい。

ここにいない人のことを考えたり、見えるはずのものを遮ったり、感じるはずのものを拒否したりせずに。自分の周りにあるものを、全て受け容れたい。
凡庸なものでもいい。醜いものでもいい。
自分を嫌っているもの、自分を傷つけようとするもの、自分が嫌いなものでもいい。それがこの世界の営みだから。
過ぎてゆく時間のなかにある、すべてが愛おしい。

美しいものは、画面のなかの偽りのつながりのなかにはない。
目の前の景色のなかにある。

美術の先生はこう続けていた。
"Are you here? Or are you somewhere else? Where are you? And, who are you?"

わたしも、折に触れて、自分にこの言葉を問いかける。

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