中島敦「小笠原紀行」を読む④(完)

   峠を下り大村に帰り夕餐をしたゝむ
波の音夕べ淋しき島根にも料理屋ありて女化粧(けはひ)す
懶げに鯨肉(くぢら)の刺身運びくる女の潰島田(つぶし)しどけなげなり
何處ゆか流れ来りし女なる淫らにはげし白粉のあと
この島に誰か夕べを遊ぶらむ二階に灯(ひ)入り三味の音洩るゝ
浜にゐて夕浪の音(と)に立交じる三味の音聞けばいよよさぶしも



かつてはこんな光景が島にもあったらしい。現在は国立公園に指定されているから、風営法により風俗営業はできない。したがって島にはキャバクラはない。いまは、鯨の刺身が店で出てくることもほとんどない。あったとしても内地経由。
ところで柳家喬太郎師匠の落語に「華やかな憂鬱」という落語がある。これも父島にキャバクラがあるという設定だ。実際にはないけれど。島の飲み屋に女の子は多いけれど、内地出身の子がほとんどで、島の子は内地に出るか、家業を手伝うかのどちらかが多い。


   夜に入り空曇る。船にかへり甲板にて釣を見る
暗き夜を橘丸の舷側にアセチリン燃し釣る男あり
アセチリンの光圏の中に一本のつり糸垂れて下は夜の海
忽ちに水湧きさやぎ糸張りて手強きが如し引きに引けども
跳ね狂ひ濡れ光りつゝ船腹を尾もて叩き打ち上りくる魚
とび跳ねて喰ひつかむずる猛きもの虎鮫の仔と聞けば恐しき
棍棒もて打ち殺されし鮫の仔の白き腹濡れて淡血(うすち)流れゐる

夜は鮫も活発になるので釣れることがあるらしい。といっても港で釣れるのは小さいものだが。島のカフェでは鮫のハンバーガーも食べられます。
そういえば昔、湾内の堤防で、安い釣り具で釣りをしていた島の高校生の竿に鮫が掛かったことがあった。安物なので難儀したが随分格闘して、獲れそうなところまで行ったのだが、結局釣り上げられなかったっけ。


   帰航の途次八丈に寄る
   八重根港に上陸、直ちに野天にて牛乳の饗応を受く

大き樽に満々として牛の乳はや飲みたまへと村の人いふ
丼に乳をすくひて一息に飲みほしにけり雫のごはず
   八丈は小さき島なるよ
西港八重根をあとにのぼり来とはやも見えきぬ東の三つ根
白黒の斑(はだれ)の牛の眼もやさし石垣沿いひの往還にして
縁高き家あり屋根の茅葺きの茅の厚さをめづらしと見つ
石垣の上につゞくは桜ならむ蕾ふふめり春日しみみに
中納言秀家の墓尋(と)め行けどもとな知らえじ春の日昏れぬ
夕暗き椿小道ゆのつそりと牛が出できぬ大き乳牛
春の夜の小学校の庭にして村人の歌ふ八丈の歌
芋酒をくらひ酔へば太鼓うつ若者の動作いやおどけくる
さくさくと踏めば崩るゝ春の夜の火山灰道海に下り行く


「小さき島」と中島は行っているが、父島が23.8平方kmに対して八丈は69.5だから決して小さくはない。ただ、父島は入り組んでいて山深く、高台に上っても島の反対側が見通せないのに対して、八丈は比較的単純な地形だからこぢんまりと感じられるのかもしれない。

これでおしまいです。なにか思い出し次第、随時更新してゆきます。

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