ありそうもない表紙で巡る名作(その2:日本文学編)
先日、もし岩波文庫がハリー・ポッターを出したら(ありそうもない表紙で巡る世界の名作)というものを書きました。『ハリー・ポッターと賢者の石』を岩波文庫風の表紙にしてみたり、ゲーテを官能小説風の表紙にしてみたりと、ふざけた記事だったのですが、一部の文学好きな方から「ぜひ日本文学編もやってほしい!」と言われたので、ご要望にお応えして、日本文学の名作(?)をありそうもない表紙でご紹介していきたいと思います。怒らないで見てね。
池波正太郎『鬼平犯科帳』(国語辞典風)
池波正太郎の『鬼平犯科帳』といえば時代小説の名作で、長谷川平蔵のような男になりたい! と憧れる方も少なくないと思います。池波先生の作品は、格好いい男とはどういう男か、を教えてくれるものが多いですね。わたしはあまり時代小説は読まないほうなのですが、これだけは何度も読みました。もちろん全巻持っています。
今回は国語辞典風の表紙にしてみました。大きな文字で一目見て国語辞典だとわかる表紙、箔押しがされていることも多いですね(グラデーションにするのが面倒だったので、脳内で金ピカに変換してください)。時代の変化で言葉も変わるため、何回も改訂を重ねる事が多く、また編者が何人もいることが多いです。ここでは編者の代わりに登場人物を並べてみました。
司馬遼太郎『竜馬が行く』(ガイドブック風)
こちらも歴史小説の言わずと知れた名作。坂本竜馬を題材にしたフィクションであり、史実の竜馬とは異なる部分も多いそうですが、竜馬イメージを決定した一冊ですね。これを読んで坂本竜馬が大好きになった人も多いでしょう。とはいいながら、実はわたしはまだ読んだことがありません(申し訳ない)。
『地球の歩き方』シリーズ風にしてみました。なぜかいつもノッペラボーの人が登場するイラストの表紙(読者が自分を投影できるようにしてるのかな??)、地域ごとに違う色のタイトル、なぜか手書き風の飛行機の絵などが配されています。読んだことがなくて内容が分からないので、下田来航の錦絵をトレースして背景においてみました。竜馬がゆく新しい世界を、ガイドしてもらいたいですね。
筒井康隆『日本以外全部沈没』(人文書風)
小松左京のSF長編『日本沈没』は大ベストセラーで、映画やドラマにもなりましたが、同じ年にパロディーとして発表されたのが筒井康隆の短編「日本以外全部沈没」。実はこちらも映画化されています。日本以外の世界の全てが沈没し、世界中の富豪やセレブが金に物を言わせて日本に逃れてやってきます。シナトラが場末のバーで歌って日銭を稼ぎ、人気女優さえも身体を売り、捕鯨反対国がなくなったから鯨肉が安くなるなど奇想天外な設定ですが、パロディーと侮ることなかれ、ナショナリズムや人種差別への皮肉を込めた作品になっています。
真面目そうな表紙だったらどうなるだろうかと思い、人文書のようなシンプルなデザインにしてみました。文明批評のような本になりますね。さて、娯楽小説をいくつか紹介しましたが、次からは文学作品を紹介します。
福永武彦『廃市』(写真集風)
大林宣彦監督によって映画化もされた『廃市』。主人公は卒業論文の執筆のため、とある古い町並みが残る町に逗留します。そこで美しい娘と出会い、その姉の秘密を知る……。取り返しのつかない過去を追憶し、退廃のかぐわしい香りがする名作ですが、2017年に小学館P+D BOOKSで刊行されるまで長らく絶版になっていました。
ちょっと手抜きですが、白黒の写真を全面に割り付けて白抜きの文字を入れた写真集風に。
辻邦生『天草の雅歌』(学術文庫風)
前述の福永武彦と同じく学習院の仏文科で教鞭を執っていた辻邦生の歴史小説。辻邦生は多くの作品に献辞を入れていますが、本作は福永武彦氏への献辞が記されています。舞台は鎖国が完成しようとする江戸時代初期の長崎。キリシタンが登場する歴史小説には信仰の在り方がテーマになることが多いですが、本作では信仰を経糸にして、社会の変容に引き裂かれていく愛や、政治対立や陰謀といった権力と正義の問題が折り込まれています。こちらも長らく絶版になっていましたが、電子書籍になったようです。ぜひ紙の本でも復刊してほしいものですが。
最近の講談社学術文庫の、とくに民俗関係の表紙は、写真を前面に割り付けたシンプルなものが多いですよね。
上林暁『聖ヨハネ病院にて』(幻想文学風)
上林暁は、尾崎一雄とならび昭和を代表する私小説の名手。現在は講談社文芸文庫と吉祥寺の夏葉社からいくつかの短編集が出ているだけで、多くが入手困難になってしまいました。本作は心を病んだ妻が日に日に衰えていくのを見ながら冷静な視点で看取る主人公を描いた切ない作品です。
表紙のモデルにしたのは、美しい函入りの本を多く出版している国書刊行会の本。思わずジャケ買いしてしまう国書刊行会、装幀に負けず劣らず内容も美しい本が多くて、多少値段が張るだけの価値があります。わたしは山尾悠子さんの同じ本を三冊持っていたりします。
太宰治『葉桜と魔笛』(児童文学風)
太宰治の短編「葉桜と魔笛」は、ある老女の回想。葉桜の頃に夭折した、美しく薄命だった妹の手紙。妹は寂しさから実在しない恋人からの手紙を書き、虚構であることを知らない姉は妹のために恋人になりすまして手紙を書く……。その二人の会話が切なくて胸にこみ上げるものがありますが、しかし、じっくり読んでみると矛盾が見つかります。嘘をついているのは、誰なのか。何のためなのか。太宰には似たような作品がいくつかあり、もやっとする切なさが魅力になっています。
児童文学を意識した表紙をつくってみました。魔女がでてきたり、魔笛が冒険の鍵になるようなファンタジーがありそうです。こちらのフリー素材を使わせていただきました。
谷崎潤一郎『乱菊物語』(古典新訳風)
谷崎潤一郎は様々な作風の小説を発表していますが、その中でも異風なのが『乱菊物語』。『少将滋幹の母』『武州公秘話』の様な中世の武家社会の歴史小説ですが、伝奇的で通俗的な娯楽小説として楽しめます。確執をもつふたつの武家の史実や、仏教説話、伝説などに取材して詰め込み、読者を飽きさせない魅力的な作品なのですが、残念なことに前編のみで中断されています。完成していたら谷崎の代表作になっていたかもしれません。河出書房の池澤夏樹個人編集・日本文学全集に収められていますが、現在のところ文庫本は品切。
光文社古典新訳文庫を真似してみました。望月通陽さんのイラストと、地域別の色分けがかわいいですね。方丈記や堤中納言物語の新訳も出ていますが、雨月物語や狭衣物語の新訳ももっと出してくれたらわたしはうれしい。
川端康成『むすめごころ』(教科書風)
川端康成の「むすめごころ」は、とある夫婦の結婚の背景を、妻の親友であり夫の元恋人である女性の手紙のかたちで綴った短編。その心理描写や、彼女の独特な、けれども一途な愛し方が瑞々しく描かれていています。自分にはできそうもない真剣な愛し方と、一度でいいから出会ってみたい運命的な出会いに憧れます。「夕映え少女」などとともに短編集に収められることがありましたが、現在は絶版。古本は比較的入手しやすいですが、復刊をのぞむ作品です。
世界史の教科書風にしてみました。むすめごころ、教えてほしいものです。
森鴎外『ヰタ・セクスアリス』(サイエンス系ビジネス書風)
森鴎外の名作のひとつ、「ヰタ・セクスアリス」は「性的生活」を意味するVita Sexualisから。刺激的なタイトルに見えますが、性描写はほとんどなく、哲学者が自らの幼少期から青年期の性生活を回顧するノートのかたちで性について思索を巡らせます。今で言えば森岡正博氏の『感じない男』のようなものでしょうか。
カタカナだけのタイトルだとサイエンス書っぽくなりそうだったので、こんなかたちにしてみました。
芥川龍之介『鼻』(図鑑風)
芥川龍之介の短編「鼻」は教科書で読んだ作品としてご記憶の方も多いと思います。中世の説話に取材し、社会と人間の心理を鋭く捉えた作品に昇華した名作ですね。
今回は図鑑のような表紙に。花じゃなくて鼻の図鑑、一体なにが書かれているんだろう……。
おわりに
さて、今回もふざけてしまいましたが、青空文庫にあるものはリンクを張っておきましたので、興味が出たら読んでみて下さい。本当は、あまり世に知られていない名作をもっと紹介したかったのですが、日本文学は題名が簡素であることが多く、印象的な表紙を作ることが難しかったので無難な選択になってしまいました。
とはいえ、ここで紹介したいくつかの本は現在も絶版です。書籍は売れないことには重版がかかりませんし、出版社も名作だからといって売れない本を出版するほどの経営的な体力が、いつまでもあるわけではない。読み継がれるべき名作は購入することで後世へと残ってゆくのです。
悪書が良書を駆逐するのかは分かりません。でも、安くて、あるいは無料で、すぐ手に入る情報が溢れていくと、お金の掛かって読む手間も掛かる名著は居場所を失っていくのかもしれない。書籍には再販価格維持制度があって、値引き販売ができないことになっているのは、市場原理だけに任せると安くて粗雑な内容の本が市場を席巻し、この社会全体が傷を負うことになるからです。だけど今、実際に書籍とデジタルな情報が同じ土俵で競い合う状況では、そのような問題はすでに現実になっていると言えるのかもしれない。
だとしたら、わたしたちには淀みへと流れる時代に抗して名作を読み、買い、伝えていくことしかできないのかもしれない。あえていくつかの絶版本や絶版になりそうな本を選んだのも、そういう理由からです。
ふざけた画像のあとに真面目な話になってしまいました。隠れた名作を発掘するのも、本の楽しみのひとつだと思います。本屋で名前も知らない作家の本を素通りしたり、古本屋で日焼けした地味な本を知らんぷりするのではなくて、なにか心に響くものがあれば手に取って読んでみたら、新しい出会いがあるかもしれませんね。そしてそれが、わたしたちの知を未来へと受け継いでいくための一歩になるかもしれない。本を選ぶときにそんなことを意識してもらえたらいいなとおもいます。
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