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一般論や正論ではなく、「わたし」を主語にしたことばを語ります。

2016年11月29日火曜日

自分では守れなかった、感受性のゆくえ

幸田文の長編小説に『きもの』という作品がある。昭和40年代前半に雑誌に発表され、没後に刊行された。


物語は、水色の地に紫のあやめの花模様のついた胴着の袖が引きちぎられている、それを主人公のるつ子と、彼女の母と祖母が囲んでいるシーンからはじまる。
るつ子はこの胴着の見た目を気に入っていたのだが、着てみたら肩の所が幅ったく、手が挙げづらい。それが気に入らず、るつ子は着たままその袖を引っ張って破いたのだった。それを咎める母は、はばったくなどないと理解を示さないが、祖母がるつ子の気持ちを汲み取り、助け船を出す……


明治の末年に生まれ、大正を東京の下町で育った少女るつ子は、着物の着心地にとことんこだわる。よき理解者である祖母の教えにより、「着る」ことを通じて世間のしきたりや作法を身に付けていく。幸田の自身の体験を反映した、自伝的小説である。



この小説をいつ手に入れ、いつ読んだのか覚えていない。十代の頃だったと思う。
ただ私には、るつ子への強い共感と、羨望との、混ざり合わない2つの気持ちが沈殿していったことだけは覚えている。
同じように着心地にこだわった私には、それを理解してくれる身近な人物などいなかったからだ。

私の場合は、身体の運動のしやすさや、着たときの感覚よりも、肌に触れたときの感触が大事だった。

合成繊維の服は着られなかった。痒かったり、痛かったりで。
質の悪い生地の服も。肌への刺激が強いものは着られなかった。
中学生になると、制服のワイシャツを着なければいけなくなったが、
これも綿100%でないと痛かったし、肌着を着るのも嫌だった。肌に密着して触れる生地や、締め付けられる感覚の服は着心地が悪かった。

だから私は着る服を選んだ。
両親に買い与えられた服や、兄のお下がりでも、着たいと思えるものは僅かしかない。あとは着られないか、着心地が悪いか。タンスには服がたくさん入っているのに、いつも決まった2,3着の服を着回していた。
どんあに寒くても、マフラーも巻けなかったし、肌に直接は触れないセーターもフリースも、だめだった。


もちろん両親には咎められた。
私は、痛い、痒い、ヒリヒリする、ちくちくするといって、綿以外の服は嫌がった。
返す言葉は、「そんなことはない」とか、「わがまま言わずに着なさい」とか。単に私が、服が気に入らないとか、お気に入りの服が着たいだけなのだとしか、理解されなかった。

家に帰ってくると、痒くてすぐに服を着替えた。


そんなことを繰り返すうちに、耐性はつく。大体の服は、我慢すれば着られるようになった。高校生になれば、お洒落に目覚めて、痛い服でも、見栄張って我慢して着た。
今では、外に出ている間だけなら、ヒートテックだって着られるし、セーターもフリースも大丈夫。長時間着ると、痒くなるけど。


たぶん、私は敏感な子どもだったのだ。
服だけではなかった。

化学調味料を使った料理を食べれば、何日も咳が止まらなくなった。
一時期失踪していた祖父が見つかり、しばらくして名古屋に会いに行った(といっても私は覚えていなかったから始めて会うおじいさんだったけれど)。祖父は、お弁当に玉子焼きを作ってくれた。味の素を入れて。その午後から何日も咳に苦しむ私を、祖父は狼狽えながら名古屋観光に連れて行ってくれた。そんな思い出がある。今は亡き祖父である。

農薬まみれの野菜も決して食べなかった。
子どもの頃のレモンが好きだった。皮まで食べた。だけど外国産の、ワックスが塗ってあるようなレモンは絶対に食べなかった。

こうした敏感さも、成長し、食べたくないものを食べさせられ、給食を食べ、レストランで食事を摂り、学校の帰りにコンビニで買い食いをするようになるにつれて、耐性がついていった。コーヒーが飲めるようになったのと同じように。

私は過敏だったのだろうか。
過敏とはなんだろう。感覚に過度なものなどあるだろうか。
昼間に金星を識別できる南洋の人々の光の感受性は過敏だろうか。
私たちには点にしか見えない影でも、人かラクダか識別できる砂漠の民の視力は過敏だろうか。


私の過敏なまでの繊細さは、成長とともに失われた。
それは両親の強要と、感情・感覚の抑圧、産業製品の摂取、見栄張り、無知によって。脆い感受性は抑圧されていった。年齢を重ねるにつれて、皮膚にも舌にも消化器にも膜が覆われていくように、鈍感になっていった。
今は、スーパーに並ぶ、工業製品のような食品も、躊躇いなく食べられる。近代化学の作った毒に当たることもなく。

そうして私は普通の人と同じように生きられるようになったのだ。両親のお陰である。

ごく微量な毒にさえ、拒否反応を起こすような繊細さは、今の私は持っていない。




脆くて傷付きやすい、少年の感受性は、もう戻ってこない。

普通の人が着るものを着て、普通の人が食べるものを食べる生活が、できるようになったのと引き換えに、瑞々しい繊細さは失われた。



茨木のり子さんはおっしゃった。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


私は脆い感受性を、自分で守ることができなかった。

ばかものの、なれの果てである。