恋愛がそんなに大事なのですか? ——恋愛を描かない映画『夜明けのすべて』

 今日は何もかも上手く行かないんじゃないか。小さな失敗や食い違いが気になって仕方なく、絶望的な気分になりかけていたその日、もういいや、無理はしないでおこう、と思って半休を取り、話題になっていた映画『夜明けのすべて』を観に行った。


SNSでの反応を見るかぎり、パニック障害の男性とPMSの女性が同僚として出会うことでお互いがケアしあっていく話であるらしいこと、そしてそのふたりは恋愛関係になることなく、同僚として関わるだけであるらしい。それが気になって観に行ったのだった。そしてそのことは、噂にたがわず本当に良い描き方だったな、と思った。


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おそらくそれなりの大企業で働いていたがパニック障害で離職した男性(山添)と、PMSで感情を抑えることができずに入社間もなく上司に当たり散らして離職した女性(藤沢)が、町の小さな会社で同僚として働きはじまる。山添が職場で発作を起こしたとき、かつて同じ薬を飲んでいた藤沢がそれに気づいたことをきっかけに、お互いの病気のことを知ろうとして、共に相手をケアする関係になっていく。

そうはいっても職業的なケア労働のようなケアではないし、献身的に相手を支えるわけでもない。藤沢は周囲への気配りを欠かさない人間だが、山添の方はむしろぶっきらぼうで人の感情に無頓着なところさえあるのだが、気遣いとか支えるとかいうよりはPMSそのものに興味があって、それを上手く攻略して対処していくような感じすらする。心ないことを言うこともあるし失敗することもあるのだが、ふたりがそれぞれのしょうに合った仕方で、親しい同僚として無理なく相手の病気と向き合っていく。

だから当然、それで何かが劇的に変わることはない。それでも病気との向き合い方を身に付けたり、対応の仕方が分かったりはするのだが、パニック障害が完治することもPMSの怒りがコントロールできるようになるわけでもない。自分の病気に対処できるのではないが、相手の病気には次第に理解が増していく。それは確実に(メイヤロフがいうところの)ケアであり、一方がもう片方をケアするのではない、相互的な関係であって、ケアする側もそれによって癒やされるというものだ。職業としてのケア労働もきちんと描かれながら、インフォーマルなケアを、その限界もちゃんと踏まえつつ描くところも、とても良いなと思った。

変化は⸺われわれの生活がほとんどの場合そうであるように⸺緩慢だ。その過程をドラマティックに描くことはしないし、ふたりの関係は永続的なものでもない。そして恋愛的ロマンティックでは全くない。ふたりの関係を恋愛ではなく同僚としての友愛としてミニマムに描いたところが、いままでのよくある映画とは違っていた。


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わたしは恋愛ものが苦手だ。小説でも漫画でも映画でも、基本的に必然性のない恋愛描写は鬱陶しいと思ってしまうし、人生の複雑で面倒くさいところ、現実の手の着けようのないところをロマンティックさで覆い隠してしまうような描写は特に気持ち悪くて観ていられなくなる。恋愛が成就したらそれで幸せで終わり、というのもくだらないなと思ってしまうたちだし、たとえば医療ドラマにサブプロットとして恋愛要素が出てくるのも意味あるのかよと思ってします。

恋愛がほかのなにものにも変えがたく至高な関係であって、それが人間性の核にある、という価値観というか信仰が、世の中には溢れているように思う。先日、ちょうどこんなことをツイートしたところだった。


そして、映画を観てからこんなことをツイートした。



わたしが中学生のころはいわゆる「純愛ブーム」で、強烈な恋愛によって人生が変わり、それが人間としての本当の幸せであるかのような映画や小説やドラマが流行っていた。そういうカルチャーに囲まれながら育った自分は、いつしかそういう価値観を身に付け、大人になったらそういう恋愛をするものだと思っていたし、そうならない現実と自分の気持ちに折り合いを着けることに、若い頃は随分と苦労した。

今では分かる。恋愛ばかりが人生で重要なことではないし、人生では大切な人との関わり方が恋愛以外にもたくさんのかたちで存在する。(異性愛を規範とするこの社会において)相手が異性であるからって恋愛を前提にして人間関係を見ることは、それ以外にたくさんある可能性の芽を摘んでしまうことになってしまうのではないか。

思えば自分も男女といえば恋愛、という呪縛に囚われていたし、それを解呪するまでには随分と時間が掛かった。そしてそのことによってこれまでに、多くの人を傷付けてしまった。

自分の生まれ育った時代は(おそらく生まれる少し前から)、みんなが恋愛に浮かれていた時代だった。でも恋愛が大事だった時代はもう終わった。恋愛によって人生が変わるわけでも、人間性が磨かれる訳でもないし、まして交際経験や配偶者の有無、そして相手がどんな人なのかによって誰かの人となりが測定できるわけでもない。それなのに、いまだ世の中には男女と言えば恋愛で(かつ恋愛と言えば男女で)、それが人生には欠かせないものであるかのような言説が染みついている。それが少しずつ変わりゆくことを、『夜明けのすべて』は示しているのだと思った。


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上に書いたとおり、昭和後期と平成の“恋愛”の遺産を清算してお焚き上げすべく、いまいくつかの本を準備しています。今年中に一冊(できれば二冊)は出ますので、これからもっと世の中が変わって、人と人との関係がもっと豊かになっていくことを願って。

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