ずっと言葉を探していた
ペンが剣より強い理由はな 殺すんじゃなくて産むからだ 人の心をな—— だから簡単にゃあ滅びないし滅びるわけにもいかない川崎昌平『重版未定2』(中央公論新社、2021年)
言葉を武器にして闘いたい、と思っていた。
世の中を埋め尽くす理不尽に抗い、言葉を用いてそれを掘り崩すことに憧れていた。正しい言葉が欺瞞や侮蔑の言葉を駆逐するのだと信じていた。美しい言葉を手に入れれば、俗塵の雑音から自らを守ることができるのだと。弱者の抑圧や生活の苦しさを言い表す言葉を持つ者が集まれば、社会を変える力になるのだと。孤独のなかにいても、強い言葉を身に付けることさえできれば世界に立ちむかうことができるのだと。研ぎ澄まされた言葉を身に付ければ、それが武器になり、不正義と闘うことができるのだと、信じていた。
だけど思う。世界をより良い場所に変えていくための道具としての言葉を、武器に喩えたことは適切だっただろうか。いままさにニュースやSNSを介して頻りに伝わってくるのは、武器によって命を奪われ、家族や友人を失い、住む場所や愛する故郷を追われた人たちの姿である。日常を一瞬で破壊する力を持つ、それが武器だ。
人びとを絶望の淵に追い込み、そこから突き落とす力を持つ武器に言論を擬えることが不謹慎だと思うのは、実際に言葉が武器になるからである。胸を切り裂き、居場所を失わせ、他者から切り離して孤独へと追い込み、命を奪うことがある。それだけの力を、言葉は本当に持っている。強者が更に力を増し、弱者からなけなしの財産を奪い取り、支配を強化するだけの権力を生む装置を、言葉は作ることができる。幸福を奪うのも戦争を起こすのも人の尊厳を奪うのも、言葉のなせるわざである。その現実を前にしてもなお、言葉を武器にして闘う、と言っていいものだろうか。
しかし言葉は、武器になるだけではない。孤独に寄り添い、希望を生みだすこともできる。想像の翼を躍動させ、まだ見ぬ世界へといざなうこともできる。正しいことと間違ったことを峻別し、人びとを導くこともできる。武器は奪うことしかできないが、言葉は与えることも生み出すこともできる。言葉が人を傷付け奪うのと同じように——願わくばそれ以上に——作り出すエネルギーを蓄えている。
その力を信じたい。奪うための、闘うための、言い負かすための、誇示するための言葉でなく。与え、拓き、共に歩むための言葉。
言葉をもつ人は強い、と思う。そして強いことは、べつに正しいということを意味しない。当然ながら。声の大きな人が、人びとを煽動したり、誤解を植え付けたりするために言葉を駆使するのは、SNSでは見飽きた光景だが、危機の中にある人びとを結束させ、導く言葉に胸を打たれることもある。それもまた同じだけ、危うさを秘めてもいるのだと思うけれども。
だって、最も苦しんでいる人の言葉はつねに弱く、大きな、強い声にかき消されてしまうから。助けを求める人の声は、力を持つ誰かに打ち消されたり、蔑ろにされたり、あるいはそれを言葉にする力を持たなかったり、諦めを植え付けられたりして、人びとの耳に届かないことがほとんどだ。本当に必要な言葉こそ、聞こえないものなのだ。それを聞くためには、地に足のついた想像力に頼らなくてはならない。そしてほんの僅かな声を拾い上げ、社会へと繋げる強い言葉をもつ誰かが訪れるのを、ずっと待っている。
だからわたしは強い言葉がほしかった。自分は弱くないのだと信じるために。そして小さな声を拾い上げるために。言葉をもって、世界と対峙するために。
ずっと、言葉を探していた。
読書は孤独である。ふだん生きている世界と切り離され、一人きりになって、書かれた世界と対峙する。そのとき沸き起こる感情は誰に共有されることもない。だから想像の翼に乗ってここではないどこかに旅をすることも、自由な思索を試すことも、湧き出ては消える感情の波に漂うこともできる。
しかし書くことは読むこと以上に深い孤独を要求する。自分だけが書くことのできる言葉を探すことは、誰も踏み入れたことのない暗闇に漕ぎ出すことと同じである。どこにも航跡はない。澪標もない。その暗闇に、思考を櫂に、感情を舵にして彷徨する。胸の中に氷雨の降るような煩憂を抱きながら、灯りのない鉱脈を掘るように進む。時に行き詰まり、漕ぎ進めなくなって立ち止まったり、引き返したりして、あちらこちらへ漂流する。
苦しみに耐えながらも貪るように読み、書き続ける——つまり言葉を探していた理由は、自分が何を思っているのかを書かないことには理解できないから、だったと思う。人並み外れた筆力を持つ先人の書いた言葉を借りれば、胸につかえて腑に落ちない感情を言い表すことができそうな気がした。自分のまわり、俗世で飛び交う乱雑な言葉ではなく、書物の中にある研ぎ澄まされた言葉に、長年求めていたものを見つけられる気がした。そして時折、自分のために紡ぎ出されたのではないかと思える一節に出会っては、苦悩がひとつ解放されたかに思った。それでもなお見つからない言葉もある。拙くても、自分で探して書くほかに手段はなにも残されていない。
手っ取り早い、安易な言葉ではなく、磨かれた自分だけの言葉を探すのは、大まかな言葉で心を扱うことが、自分を蔑ろにすることに繋がるからだ。連載『死ぬまで生きる日記』で土門蘭さんは「死にたい」に代わる言葉を探し求めていたことを綴っている。
言葉は自分の心を表しているようで、実は心を規定している。自分の心を的確に微細に表現する言葉を持っていなければ、まるで四捨五入をするかのように、大まかに心を振り分けることしかできない。本当は自分が抱えているのは「死にたい」とは微妙に異なる複雑な欲求だとしても、それを認知できなければ、やっぱり私は「死にたい」としか思えない。
もしかして私が「死にたい」としか思えないのは、語彙の足りなさゆえではないのだろうか?
そんな仮説はずっと私の中にある。もしかしたらまだ、「死にたい」よりももっと相応しい言葉に出会えていないだけかもしれない、と。土門蘭「地球以外の場所で、ひとりぼっちでものを書く人たち」【死ぬまで生きる日記|生きのびるブックス】
そう。大まかな言葉は心を四捨五入する。「髪の黒い人」「おでこの広い人」「日本人」などと言ったところで自分を表現できっこないのと同じように、「つらい」「かなしい」「エモい」なんかで自分の感情が言い表せるはずがなかった。生きることのすべてが辛かったとき、自分がなにより求めたのは自分の感情を適切に言い表す言葉だった。そうでないと「死にたい」の引力に吸い寄せられ、いつでも死の方向へと誘われて言ったから。死にたいに代わる言葉を見つけることができたとき、苦しみの根にあるものを少しだけ掘り当てることができたように思えたのだ。
言葉は研ぎ澄まされなければならない。一度書いただけの荒削りの文章で、良い文章が書けるほど自分は天才ではない。先人たちの文章をよく読み、真似し、表現を学ぶ。推すか敲くか、時間を掛けて考える。何度読み返しても、嫌気がさすくらいの下手な文章しか書けないのだが、才能に恵まれない自分は努力で補うほかない。
個性や人間性や感性で文章が書ける訳ではない。そのことを身を以て感じたのは、大学院生だったころ、知り合いの息子の受験のために小論文指導をしたときの話だ。彼は徒然なるままに心ににうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつけていたので、書かれた文章から彼の思考を理解するのに苦労した。まずはパラグラフライティングを教えようと思って、ひとまずお手本の形通りに書くように指示をした。しかし彼も彼の親も、形に嵌めると個性がなくなるとかなんとか言って、説得するのに随分苦労した覚えがある。形に入れたくらいでなくなるような個性ならたいしたことないと思うし、実際のところ型どおりに書いても個性などなくなりはしないと思う。ともかく、適切に伝わる文章——それはとりもなおさず、自分の思考や感情を適切に理解するための文章——であるためには、すでに確立された手法を通して学ぶことも必要なはずだ。すくなくともわたしや彼のような凡人に、感性の赴くままに書いたところでまともな文章は書けない。
しかしわたしのような凡人でも、技術や知識を重ねれば、そこそこましなものは書けるようになった。とはいえ、その結果がいま書いているこれなので、お世辞にも上手とは言えないはずだ。しかし慥かに言えることは、書くことを通じて自分は自分の思考と感情を適切に把握し、表現することができるようになったということであり、それが生きることを随分楽にしてくれたということだ。それだけは間違いない。
十代のとき、孤独の淵で何度も死にたいと願い、誰も自分の苦しみを分かってくれないと嘆いた。それでも死なずにここまで来られたのは、言葉を見つけることができたからだし、たくさんの言葉を与えてくれた人びと——過去の偉大な文豪たちも、ネット上の顔も知らない書き手も、身近にいて声を掛けてくれた人たちも——がいたからだ。心ない言葉に奪われることもあったかもしれない、しかしそれ以上に、言葉はわたしに心を与えたくれた。
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