自分らしさと生きづらさを、この世界の豊かさのために

子供の頃から漠然と抱いていた疑問というのはたくさんあって、そのほとんどは成長するあいだに忘れてしまったが、大人になるまで抱き続けていたものもたくさんある。

いま思い出せる範囲で書き出してみると、ざっとこんな感じだ。
なぜ誕生日がめでたいのか(地球の回転で決まった暦で、ひとつの周期がまわったことの、何がめでたいのか)。なぜ桜が美しい(と、みんなが言っている)のか。なぜ他の花ではなく桜が咲いたときにみんながその下で酒を飲むのか。なぜ未成年の喫煙が悪いことなのか(法律で禁止されているのは分かるけれど、なぜそれが「悪」とされるのか)。なぜ自殺が悪いことなのか。小学校の頃、誘拐されるから一人で帰ってはいけないと言われたけど友達のいなかったわたしはいつも一人で帰っていた。いじめっ子が先生に告げ口して、いつも叱られてごめんなさいと言わされたけど、何が悪かったのかはよく分からなかった。などなど。

子供の頃から草花や動物を観察して疑問を持ったが科学する心を養ったという、科学者の子供の頃のエピソードなどはよく聞くけれど、わたしは自然よりも人間の営みや社会のほうに関心を持つことが多かったように思う。なぜ花は咲くのだろうとか、なぜ虫は飛ぶんだろうと考えたことは、記憶の限りではほとんどない。

わたしが大学では文化人類学や歴史学を専攻し、社会学や哲学も好んで勉強したのは、子供の頃から持ち続けていたまなざしによるものだったのかもしれない。おかげで上に書いた疑問の多くは今ではある程度説明できるようになった。ものごとを本当に分かったと思えるのは、2通り以上の説明ができるようになってからだ、と言ったのはファインマンさんだったと思うけれど、人間や社会の営みについても、文化から説明するのと、社会構造から説明するのと、歴史的経緯から説明するのと、その他いろいろなやり方があるわけで、視野を広げて深く理解するためにさまざまなことに目を向けて繰り返し「なぜ」を問うという姿勢は学問をやる上で大いに役立っており、この習慣が子供の頃からあったのかもしれないと思うこともある。

一方で、疑問を抱くことで余計な苦労をしたことも多かった。中学校では吹奏楽部に所属していたけれど、これは非常に決まり事の多い息苦しい集団だった。学校の中ではもっとも上下関係に厳しい部活で、先輩への敬語と挨拶は基本、一年生は荷物運びや合奏の準備や雑務などが義務、というのに加えて制服の着方、特に女子は学年ごとのスカート丈や角襟の解禁日まで決められていて、先輩の悪口を言ったのがバレたら泣いて謝るまで帰らせない、という感じだった。ひとことで言ってしまえば治安維持法のようなものだったのだが、こういう根拠のわからないルールに従順に従うほど素直ではなかったし、なんでこういうルールがあるのか、なんて疑いだしたらきりがなく、それに従うのは結構苦痛で、結局三年生の春から部活に行かなくなってしまった。

校則のない学校に進学したけれども、進学校だっただけあってまわりはみんな良い子ちゃんとして育ってきた素直な人ばっかりで、息苦しさはあまり変わらず、納得できないことも多かったので、授業をサボってその辺でギターを弾いたり、煙草を吸ったり、喫茶店に入り浸ったりしていた。反抗的だったと思う。なかでも最も納得できないのが大学に行くということで、とくに勉強する理由もわからないのに大学に行くという決定ができなかったし、しかも「いい大学」の基準になっているのはテストの点数だった。文系と理系という区切りも納得できなかったし、ろくな人生経験もないのにやりたいことなど分かるはずもなく、社会学も経済学も文学も勉強したこともないのに何学部に進むのかを進むことも決められず、なんとなく選んだ進学先で将来の方向が定められてしまうのも絶対に嫌だった。従順な同級生たちは抜かりなく進学への準備をしていくわけで、漠然とミュージシャンを夢見ていたわたしは彼らとの距離に戸惑い、居場所をなくした思いだった。それから家出して高校を中退した経緯は、以前に書いた通りである。

その後大学に入る決意をしたのは、巡り巡って、もっと学びたい、自分には学ぶべきことがたくさんあると思い至ったからだ。子供の頃からの疑問の多くは解決されたけれど、それは生きることを楽にはしてくれなかったし、むしろもっと深く問い続けることでより多くの疑問を生むようになっていった。そして、わたしたちがいきるこの社会の抱える矛盾や、そこに働く理不尽な力学、根深い差別や、過去の積み重ねの残渣として残る無意味な規範などが目にみえるようになってきて、より生きづらくなっていった。のほほんと生きていれば気付くことのないであろう性差別や人種差別、政権の欺瞞と傲慢、制度の欠陥、多数派の影に隠れた少数派の苦節などが見えてきて、それが自分に重くのしかかってくるのだった。

そんなことを考えずに、社会のルールや規範に忠実に生き、常識を疑わずに生きていたら、与えられたタスクを的確にこなし、偉い人にへつらって評価されて、安穏に生きられるのだろうと思うし、かつての同級生たちのような良い子ちゃんたちが身に付けていたのはそうやって生きていくスキルなのだろうと思う。

「良い学校」に行き、「良い会社」に入り、それらをよしとするような既成の規範を疑うこともなく、ルールに忠実に生きていた方が、お金も稼げるし安定するし、世間からそしりを受けることもなく、不安も少なく生きられるのだと思う。世間のいう「それなり」を志向して、収入と地位のある良い結婚相手を見つけるような生き方。それも立派な人生だと思う。

だけどそういう生き方を「社畜」ともいう。偉くなって国税庁の長官とかにはなれるかもしれないけれど、社会を変えるための力になることはほとんどないだろうし、この社会の矛盾に気づき、声を上げることもないだろう。アーレントを引用するまでもなく、先の大戦での悲劇を現場レベルで実行した無名の多くの人々は、国に従い、国や家族を守るために生きた無垢な人々だったし、福島の災害に繋がる原発を現場で支えたのも、優秀とされる技術者たちではなかったのか。

わたしたちも、わたしたちが作るこの社会も完璧ではない。だからこそ常に自分たち自身に疑いの目を向けて、一歩引いたところからこの社会を冷静に見つめる人が必要だし、彼らの声を傾聴する必要がある。

だけれども、わたしたちは子供の頃から、常識や既成のルールに疑問を差し挟まない従順な子供に育てられているようにも思う。たとえば学校には無数のルールがあるけれど、それは生徒たちが自分たちで作ったルールに責任を持って守る、というスタイルでは全くなくて、ほとんどは大人たちが作ったルールを絶対視して守らせるような性質のものだ。なぜ髪が黒でなければいけないのか、染めてはいけないのかという理由が説明されることはないし、髪型や下着の色まで定めた校則もあるという。「高校生らしさ」「高校生にふさわしい」という、根拠のない既成の価値観を疑わずに生きるような従順な子供を育てるには適しているのかもしれないけれど、日頃からそういうルールをすり込まれることで常識や「当たり前」を疑う力さえを奪われていってしまうように思う。そのようにして育っていった人たちはきっと、大人になってからも「埋め立ては合法」だとか「選挙の結果」だとかいう根拠で物事を論じるようになって、それが倫理的に正しいのかや、制度そのものの正当性を問うことを忘れていくのかもしれない。

ルールだけではなくて、私的領域や嗜好についても同じで、数ある選択肢のなかから自分で本当にいいと思ったものを買ったり楽しんだりするのではなくて、流行っている音楽を聞き、ブランドの衣料品を身に付け、有名な人物を追いかけるのが多数派だ。そのレースで前に出ることで仲間内での地位を獲得し、そこに乗っからないと時代遅れだったり残念だったり仲間から認められなかったりするのだから、同調圧力が相当に強くて、自分の価値観を磨くよりは多数派や権威に寄り添い、おもねる人ばかりが育っていくように見える。多数派のなかにいたり、みんなと同じような道をたどっていれば、たしかに安心する。それを「まとも」だと思うようにさえなってゆく。だけどその安心感のために、自分の可能性を広げたり、自分の美しいと思うものや好きになれるものを探究するのをやめてしまえば、ただの群衆の一人になっていくし、まわりに認められるために行動していたら、どんどん自分がスカスカになってゆく。

日々接する言葉や目にする情報も同じく、「普通」を作り出して人々をそのなかに取り込もうとしている。テレビがどれだけ同調圧力に満ちているか。麻薬を使った有名人がいれば今までの功績は全て消し去られ、「人でなし」扱いされるし、依存症患者の精神的な苦悩や薬物に手を出すに至る境遇に触れられることはほとんどない。少しでも彼らに寄り添った発言をするためには「もちろん彼(女)のやったことは許されないのですが」のような前置きが必要になる。オウム真理教を完全な悪だと切り捨てたのと同じように、薬物依存症患者を絶対悪扱いするこの圧力が、彼らを社会的に抹殺し、社会復帰をどれだけ妨げているのだろう。

ときにバラエティ番組と呼ばれるものを目にすることがある。真面目に見ていたら、頭がフル回転になってしまう。元の映像が極端に少ないからで、大げさなテロップや、外国語にはわざとらしい吹き替えが付け加えられ(当然、翻訳も正しいのかわからない)、煽るような不自然な声のナレーションが入り、そこに明らかに後付けの効果音の「えー?」という"会場の声"やら芸人の芝居がかったリアクションが入る。味付けも調理もされていない生の映像から視聴者が読み取れることはほとんどない。どのような表現にも、新聞記事であってもNHKの作るような主張の少ないドキュメンタリーであっても、制作者には何らかの意図によって切り取り、解釈し、分かりやすく加工して届けられる。そこにはどうしても制作者の持つ枠組みや価値観が反映されることは避けられない。言い換えれば、娯楽番組は視聴者を面白がらせるために切り取って加工し、強調し、それに対する期待される反応まで付け加えた上で、ほら面白いでしょう、と見せつける。番組製作が企業の活動である以上、多数派の価値観にのっとって、分かりやすく強調して面白く仕立てることは利益を最大にする上では当然のことだ。だけどその多数派にとって面白いことは、少数派や撮される当事者にとっては不快であったり、何の変哲もないことかもしれない。

娯楽についてまで、分析的なやり方で見るのはすこし堅苦しすぎるのかもしれないけれど、それらを無批判に受容し面白がっていたからこそ、長らく同性愛者が笑いものにされ、障害者が感動の押し売りの材料にされていたのではなかったのか。

きっと、「世界の果て」の奇妙な祭りを面白がっていた人たちは別の場所に生まれていたら、鱈の精巣やら生きている小魚やらネバネバの大豆やらを食べる人を笑っていたのだろうな。世界には辺境や果てなど存在しない。辺境があるとしたら、中心はどこなのだろう。文化人類学者・言語学者の西江雅之氏は、「私の皮膚の外側はすべて異郷」といった。生まれ育った日本も、彼の調査対象だったアフリカの奥地も、彼にとっては等しく不思議に満ちた「異郷」だった。ことなる文化はそれぞれに違う価値観に基づいて動いていて、自分が生きているこの社会もさまざまなルールや価値観に基づいて生きているし、わたしたちにとって当たり前で合理的なことはその外側から見れば全く理解の難しいものなのだと。

だからこそ、自分の持っている常識や当たり前を疑うことなしに自分と異なる人々を評価したり判断したり、笑いや蔑みの対象にすることは傲慢だし、ときに暴力的ですらある。実はたくさんの味付けをされている言葉や映像が、あたかも「普通」であるかのような顔をしてわたしたちの周りを飛び交っているから、そのひとつひとつを吟味しなければいけないのだと思う。

そんなこと、しないほうが、きっと、楽しい。高校生は、進学することの意味を問うよりも必死に勉強して大学に入って良い会社に入った方が成功するだろうし、女性たちはフェミニストになるよりも女を売りにして、男たちの求めるような女になり、広告のメッセージを真に受けて「女らしく」生きていた方が、(そのレースについていける限りは)楽しいし、利益も多いだろう。権力や圧力に支配され、個人を社会の望むべき方向に矯めようとする力に意義を唱えてたところで、無力感に押しつぶされ、人に誹られ、不利な扱いを受けることの方が多いのかもしれない。

学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、知れば知るほど、生きづらくなるのが人世のようだ。だけどその生きづらさは、わたしたちがわたしたちらしくあろうとする努力の裏返しなのかもしれない。群衆の流れに逆らうときの押し戻される勢いや、群れからはぐれた不安は、自分の足で立つために逃げることできない負荷なのだから。

均質で、同調性の強い社会の中で、人と異なる声を上げるのは難しい。異なる意見を唱える人を冷笑したり、嘲笑したり、排除したりしようとする社会だ。日本の野球の応援は、一塁側と三塁側できっちり分けられて、他チームのファン同士が会話することもなく、みんなで声を合わせて応援する。敵味方入り交じって応援し、隣にいる相手チームのファンとも会話し、相手チームの好プレーにも拍手するようなアメリカ合衆国の応援の仕方とは対照的だけれど、この同調性は日本の社会全般についても当てはまるのではないだろうか。よく、初対面の人と政治と宗教と野球の話は御法度というが、異なる意見を持つ人への不寛容の権化のような言葉だ。

だけど、わたしたちの生きる社会は、敵同士が戦い合っている競技場ではない。政治にしても宗教にしても、幸福や平和を追求する思いは、多くの人に共通しているはずだ。それを実現するための道筋が違うだけで、目指しているところは同じなのではないだろうか。

四年前、国会前で安全保障関連法案に反対して声を挙げたときの挫折は、いまでも心に深く影を落としている。わたしたちは結局のところ、力を持たない人たちの小さな声のあつまりにすぎなかった。だけど、声を挙げたことが無駄だったとは思わない。結果につながらないからとか、受け容れられないからといって、声を挙げるのをやめてしまえば、わたしはいないことになってしまう。諦めがわたしをスカスカの人間にしてゆくだろう。

だからわたしは、わたしの言葉をこれからも書き続けていくだろう。着たい服を着るし、好きな本を読み、好きなことをする。変な服を着て目立っているのは知っているし、噂話をされていることも知っている。目立ちたいわけじゃなくて、自分が着たいと思い、自分が好きだと思うから着るだけだ。

高校を中退したときに、自分に課したルールがある。常に守れている訳ではないけれど、指針としては役に立っている。「自分の行動の根拠を、他人に求めてはいけない。」人にどう思われるからこうするとか、まわりがこうやっているから自分も、とか、そんなことをしていたら社会に使われるだけの人間、ようするに社畜になってしまうかもしれない。人生の意味については、前回のブログに書いた通りけれど、自分以外の何かに自分の存在を委ねてしまえば、わたしがこの世に生きていることの意味がなくなってしまうと思う。

そして、たくさんの人がいて、たくさんの個性があったほうが、この世界はもっと豊かになれると思う。鋳型に塡まって生きる必要など、みじんもないと思う。あらゆる束縛と戦い、すべての人の持つ可能性を、わたしは応援したいと思う。たくさんの個性が花開いて、この世界がもっと華やかに、美しく豊かになりますように。

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