できるだけLINEは既読スルーしたい
コミュニケーションのツールとして、LINEって好きじゃないかも、と気付いてしまった。
日頃から、できるだけ、LINEは既読スルーしたい、と思っている。
というか、実際、半分くらいは既読スルーしている。。。ごめんなさいね、ちゃんと把握はしてます。
(ちなみに残りの半分は、必要なことは手短に答え、それ以外はスタンプを送って無視)
わたしは、1人でいる時間は、移動中やちょっとした空き時間もふくめて、思考(研究のため)、読書、資料読む、情報収集(これも研究のため)をしている。何かをするときは、その仕事に集中したいのだ。残念ながら、片手間に別の作業ができるほど、器用ではない。
マルチタスク(つまり、複数の事を同時進行すること)になると、能率はかなり落ちる、と思っている。私だけじゃないと思う。
本を読んでいるとき、LINEやメッセージが来て読書を中断して返事して、また読書に戻ると集中も途切れるし、読書中もLINEの内容が気になったりして、進行しない。はっきり言えば、どっちかに集中したい。そして、同時進行だと、どちらにも集中できない。
だから基本的には読書中はiPhoneの電源を切ることにしているし、研究室に入るときは電源を切り、PCはSNSには繋がないなどの条件付けをしている。
それと普段から、iPhoneの通知は全てoffにしている。つまり自分からアプリを立ち上げない限り、連絡が来ても分からない。だって、通知が来ると、気になってしまって、マルチタスクと同じことが起きるから。(それでも、大事な要件があると頻繁にチェックしてしまうから、能率は落ちるのだけど。。。)
LINEって複数の人と同時にコミュニケーションできるのは利点だけど、その分密度は低くて、時間もかかる。それなら、喋った方がいいな。。
そして、密度の低いコミュニケーションがだらだらと続いてしまうのが、苦手。
建設的でない会話が惰性で続くなら、その分の時間を研究に使いたいし、必要な用事であっても、連絡が来るたびに作業を中断するのは、ロスが多い。
いまの私の生活で一番大切なのは研究だから、そのくらいのエゴイズムは、許してほしいな。。。
だって、大切な人(パートナーでも、家族でも親友でも)との時間を過ごすとき、友達からのLINEは見ないふりして、その人との時間を優先するでしょう。私にとって優先すべきは、人ではなくて、研究(によって、よりよい未来を構想すること)なのです。友達とか、いないし。。
私にとって、最も理想的なコミュニケーション手段は、なんといっても、顔を合わせて話すこと。同じ空気を感じながら、表情を見て、言葉にできないことも共有できる。大切なこともどうでもいいことも、ふざけたことも真面目なことも、全て分かち合える時間は、かけがえがない。
手紙も好き。ポストを開けて、自分宛の手紙が入っているときのうれしさ。自分だけのために書かれた言葉。文字から香るその人の空気。そして、その人のことを思って言葉を考え、自分の手で書く時間。
離れた人と喋るなら、電話かskypeがいい。恋人(いないけど)や友達と、会えないけど喋りたいときは、LINEじゃなくてこっちがいい。言葉に詰まったり、ちぐはぐになったりしながら、密度の高い会話をする。
それ以外は、できればメールで済ませたい。業務連絡なら、必要以上のことには広がらないし、個人的な内容なら、書きたいことを書きたいだけ書いて送れる。
なにも、効率が第一といっているのではない。私だって、意味のないコミュニケーションに意味があることくらいは分かっている。学ぶことも成長することもなにもなくたって、会話すること、同じ時間を共有することが、友情や愛情にとってどれだけの価値があるかは、知っているつもりだ。
一方で、顔の見えないところで行われるやりとりが、それほど前向きなコミュニケーションになっているのか、どうか。。
分からないことは、人を不安にする。
返信がないと、嫌われているんじゃないか、無視されてるんじゃないかとか、まずいこと言ったんじゃないかとか、不安を煽る。それが怒りにも悲しみにもなるから、相手に返信を求める。そうして、すぐにでも返信することが規範になる。
それが集団で起きれば、同調圧力になる。
でも本当は返信がないとき、忙しいのかもしれないし、家族で大切な時間を過ごしているのかもしれない。ひとりになりたいのかもしれないし、研究が猛烈に進んでいてそれどころじゃないのかもしれない。
なぜか、不安が背後にあると、思いやりの欠けた想像力だけが働いてしまう。感情が先行して、ひとを責めることになる。規範やルールに従わない人を、排除したくなる。
私は、同調圧力への異議申し立てとして、堂々と既読スルーします。
よろしくお願いします。
手紙好きだから、聞いてくれれば住所はお教えしますからね。
日頃から、できるだけ、LINEは既読スルーしたい、と思っている。
というか、実際、半分くらいは既読スルーしている。。。ごめんなさいね、ちゃんと把握はしてます。
(ちなみに残りの半分は、必要なことは手短に答え、それ以外はスタンプを送って無視)
わたしは、1人でいる時間は、移動中やちょっとした空き時間もふくめて、思考(研究のため)、読書、資料読む、情報収集(これも研究のため)をしている。何かをするときは、その仕事に集中したいのだ。残念ながら、片手間に別の作業ができるほど、器用ではない。
マルチタスク(つまり、複数の事を同時進行すること)になると、能率はかなり落ちる、と思っている。私だけじゃないと思う。
本を読んでいるとき、LINEやメッセージが来て読書を中断して返事して、また読書に戻ると集中も途切れるし、読書中もLINEの内容が気になったりして、進行しない。はっきり言えば、どっちかに集中したい。そして、同時進行だと、どちらにも集中できない。
だから基本的には読書中はiPhoneの電源を切ることにしているし、研究室に入るときは電源を切り、PCはSNSには繋がないなどの条件付けをしている。
それと普段から、iPhoneの通知は全てoffにしている。つまり自分からアプリを立ち上げない限り、連絡が来ても分からない。だって、通知が来ると、気になってしまって、マルチタスクと同じことが起きるから。(それでも、大事な要件があると頻繁にチェックしてしまうから、能率は落ちるのだけど。。。)
LINEって複数の人と同時にコミュニケーションできるのは利点だけど、その分密度は低くて、時間もかかる。それなら、喋った方がいいな。。
そして、密度の低いコミュニケーションがだらだらと続いてしまうのが、苦手。
建設的でない会話が惰性で続くなら、その分の時間を研究に使いたいし、必要な用事であっても、連絡が来るたびに作業を中断するのは、ロスが多い。
いまの私の生活で一番大切なのは研究だから、そのくらいのエゴイズムは、許してほしいな。。。
だって、大切な人(パートナーでも、家族でも親友でも)との時間を過ごすとき、友達からのLINEは見ないふりして、その人との時間を優先するでしょう。私にとって優先すべきは、人ではなくて、研究(によって、よりよい未来を構想すること)なのです。友達とか、いないし。。
私にとって、最も理想的なコミュニケーション手段は、なんといっても、顔を合わせて話すこと。同じ空気を感じながら、表情を見て、言葉にできないことも共有できる。大切なこともどうでもいいことも、ふざけたことも真面目なことも、全て分かち合える時間は、かけがえがない。
手紙も好き。ポストを開けて、自分宛の手紙が入っているときのうれしさ。自分だけのために書かれた言葉。文字から香るその人の空気。そして、その人のことを思って言葉を考え、自分の手で書く時間。
離れた人と喋るなら、電話かskypeがいい。恋人(いないけど)や友達と、会えないけど喋りたいときは、LINEじゃなくてこっちがいい。言葉に詰まったり、ちぐはぐになったりしながら、密度の高い会話をする。
それ以外は、できればメールで済ませたい。業務連絡なら、必要以上のことには広がらないし、個人的な内容なら、書きたいことを書きたいだけ書いて送れる。
なにも、効率が第一といっているのではない。私だって、意味のないコミュニケーションに意味があることくらいは分かっている。学ぶことも成長することもなにもなくたって、会話すること、同じ時間を共有することが、友情や愛情にとってどれだけの価値があるかは、知っているつもりだ。
一方で、顔の見えないところで行われるやりとりが、それほど前向きなコミュニケーションになっているのか、どうか。。
分からないことは、人を不安にする。
返信がないと、嫌われているんじゃないか、無視されてるんじゃないかとか、まずいこと言ったんじゃないかとか、不安を煽る。それが怒りにも悲しみにもなるから、相手に返信を求める。そうして、すぐにでも返信することが規範になる。
それが集団で起きれば、同調圧力になる。
なぜか、不安が背後にあると、思いやりの欠けた想像力だけが働いてしまう。感情が先行して、ひとを責めることになる。規範やルールに従わない人を、排除したくなる。
私は、同調圧力への異議申し立てとして、堂々と既読スルーします。
よろしくお願いします。
手紙好きだから、聞いてくれれば住所はお教えしますからね。
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