自らの無力を前に立ち竦むための言葉を

予定と予定の間の、隙間の時間。なんとなく誰にも会いたくない時間。家に帰る気になれない時間。そんな隙間の時間を喫茶店で潰すようになったのは、たしか16歳の時からだ。ずいぶん生意気な、ませた高校生だったので、チェーンの喫茶店などではなく、その頃からすでに街のこぢんまりした喫茶店に通うようになっていた。読書をする訳でも、携帯で誰かと連絡をとる訳でもなく、ただカウンターの向こうの器を眺めながら、あるいは街行く人びとを眺めながら、スピーカーから流れるマイルス・デイヴィスやリー・モーガンに耳を傾けながら、ただなんとなく、考えごとをしていた。今みたいにスマホもSNSもなかったし、日常的にメールをするような友達は、(いまと同じように)いなかった。端から見ればただぼうっとしているようなものだったのだろう。いや、実際ただぼうっとしていただけかもしれない。

いや、考えごと、をしていた。そう、いろいろなことを考えていた、のだと思う。だけど何を考えていたのかは、よく覚えていないし、当時の日記を読み返してみても、さっぱりわからない。ただ覚えているのは、心に浮かんでは消えていく断片的な言葉とか、言葉になる前の思いとかを玩んでは思考の波に身を任せていたことだけだ。まとまった、意味のある言葉などは、ましてロジカルに辿ることのできる思考などは、ほとんど生まれていなかった、のだと思う。

だけど、考えるってそもそもは、そういうことではないだろうか。

言葉が生まれるとき。それは地中で長らく成長を続けていた蝉が、ようやく地上へと出てくるときに似ている。思考の多くは、他人に分かるような言葉を生まない。言葉になる前の、かたちにならない混沌としたうたかたが、浮いたり沈んだりして過ぎ去ってゆく。掴みどころのない靄のような霞のような、輪郭をもたない何かが漂うだけの時間が続く。その曖昧な存在を弄することを続けてふと、言葉によってその形が立ち現れる。人によってその長さは違うけれど、生物が育つのには一定の時間が必要であるように、思考が実って言葉になるためにもまた沈黙と忍耐の時を過ごさなければならないのだと思う。

思考に伴う孤独に耐えるのはもどかしく、ときに苦痛だ。なにも生まれてこないように思える、そしてまた生まれてきたとしても、それが自分の思考や感情を正しく言い表していないように思える、そんな思考しかできない無力な自分と向き合わなければならない。本当は、何も書けないからといって考えていないわけではないはずなのに、何も考えていないようにさえ思えてしまうし、思考力のない自分の脳みそを呪いたくもなる。

そんな苦痛に耐えるよりも、そこらへんに転がっている手近な言葉を借りて、そこに色をつけて自分の思考のように見せかけてしまうほうが、よほど楽だし、たいていのことは、そうしたやり方でなんとかなってしまうものだ。そして今の時代、自分で考えなくとも、すぐに誰かがもっともらしい答えのようなものを与えてくれる。洪水のようにたくさんの言葉が飛び交うこの時代に、借り物の言葉ではなく、自分の思考から生み出された生の言葉を紡ぎ出すことは、ますます難しくなっているように思う。しかしどこかで聞いたような、平板な言葉をいくつ羅列したところで、人の胸を打つことはないし、なにも新しいものを生まないのではないか。すでに何万回も続けられてきたであろう言葉の応酬には、心をすり減らすだけで、目新しいなにかを感じることも稀だし、その議論になんらかの意味を見出すことさえ難しい。

ネットを開けばそこには、人を敵か味方かに分けてしまい、自分と意見の異なる人はみんな敵で、そんな奴らの意見は見たくない、そういう世界が広がっている。他人を、自分が見たい世界の鋳型に填め込むだけで納得してしまう。なんとまがまがしい、貧しい世界なのだろう。人はそんな二分法で分けることの決してできない、いやそれどころか、どんなに言葉を尽くしたところでわかりようのない存在なのに。単純化された、陳腐で気の抜けた言葉が、人の想像力も思考力も奪い、つまらない論争と憎しみばかりを育んでいる。

敵とか味方とか、馬鹿とか阿呆とか優しいとか頼もしいとか、そういう簡単な言葉では形容のしようもない人間の存在を問うために、人類は悠久の時をかけていままでに数え切れないほどの言葉を編み出してきた。それは文学という形であったり、詩歌や戯曲、あるいは批評であったり、報道やルポルタージュであったりする。口承であることも、書き言葉であることもあった。どんな時代にあっても、人は言葉を紡ぐことをやめなかったし、それが単純に人を断罪するものではなく、むしろ深淵な言葉でもって人を理解しようとする言葉であるほど、後世まで受け継がれてきた。

社会がどんなにひどいことになっても文学はそれに対応して・対抗して、作品を生み出す。文学とはすべてを包む広大な天網であるから。池澤夏樹「文学の危機、なのか?」『思想』2019年11月号(岩波書店)

しかし文学に即効性はない。人を殺し、土地や資源を——それどころか人間の尊厳をも——奪う武力を前にすれば、文学は、言葉は無力であるようにも思える。

そうであっても、社会に流されず、踏みとどまって自らの言葉を紡ぐために。人を分かったつもりになってカテゴライズしてしまう欲求に抗い、踏みとどまるために。他人への想像力を持ち続けるために。世界は敵か味方か、白か黒かの単純な世界ではなく、それぞれに異なった背景があって、人それぞれに色とりどりの世界が見えているというもどかしくも美しい現実を、ありのままに受け止めるために……。安易な言葉を吐き出さないで、模糊とした現実を抱える文学の言葉が必要なのだと思う。

報道を通じて伝わってくるのもまた、やはり分かりやすく整理された言葉だ。巨悪と、それに虐げられる市民、その間で葛藤する兵士。世界のあらゆる場所には、日々の生活を送る人たちがいるのだけれど、そのそれぞれの生活に思いを馳せることは難しい。タイで、ビルマで、香港で、アフガンで。メディアが報道しようと沈黙しようと、いまも圧政に抗ったり諾ったりしながら、それこそ普通の、日々を過ごしている人びとがいるということ。一時期にメディアが熱心に伝えた地域のことでも、ほとぼりが冷めればわたしたちの想像力を刺激するようなことは滅多に残らない。それぞれに、国とか正義とか悪とかだけではない、それぞれの歴史があり、文化があり、生活があり、それらは素数で割り切ることのできないものであること。

どの地域についてでもそうだが、とりわけ普段はあまり注目されないような国や地域についてのニュースというのは、いっときさかんに報道されても、激しい衝突がなくなるとぱたりと情報が途絶えてしまう。しかし当然ながら現地では生活が続いており、紛争や衝突は突然なくなっているわけではない。むしろ大きな出来事のあと、世界に注目されなくなったときにこそ、新たな不幸が口をあけていることも多い。そこにはひとりひとりの暮らしを詳細に知らなければ伝えようのない真実というものがあり、それを描きとる可能性を持つのが文学でもある。奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を:文学を探しにロシアに行く』(イーストプレス、2021年)

他者への想像力を持ち続けること。シンプルに、分かりやすい言葉で切り刻むことが求められる世の中で、御しがたい現実を前に立ち竦み、沈黙する勇気を持ち続けるために。どんなに他人に知識を与えられたとて、決して知り得ない世界があることを、心に留めておくこと。そして己の無力を受けとめ、それでもなお孤独のなかで世界に立ちむかうための言葉を求めなければならない。

人は知識を得ることにより、世界のどこでなにが起こってきたのかを「知って」いる。けれどもなにを知っているというのだろう。

私は無力だった。サーカスの子供たちに対して、ドイツとロシアの狭間で悩むインガに対して、毎日のように警察に尋問され泣いていたイラン人の留学生に対して、目の前で起きていく犯罪や民族間の争いに対して、兄弟的な国家であったはずのロシアとウクライナの紛争に対して、すぐ近くにいたはずのマーシャやアントーノフ先生に対してさえ——ここに書ききれなかったたくさんの思い出のなかで、私はいくら必死で学んでもただひたすら無知で無力だった。いま思い返してもなにもかもすべてに対して「なにもできなかった」という無念な思いに押しつぶされそうになる。

けれども私が無力でなかった唯一の時間がある。彼らとともに歌をうたい詩を読み、小説の引用や文体模倣をして、笑ったり泣いたりしていたその瞬間——それは文学を学ぶことなしには得られなかった心の交流であり、魂の出会いだった。教科書に書かれるような大きな話題に対していかに無力でも、それぞれの瞬間に私たちをつなぐちいさな言葉はいつも文学のなかに溢れていた。

人には言葉を学ぶ権利があり、その言葉を用いて世界のどこの人とでも対話をする可能性を持って生きている。しかし私たちは与えられたその膨大な機会のなかで、どうしたら「人と人とを分断する」言葉ではなく、「つなぐ」言葉を選んでいけるのか——その判断は、それぞれの言葉がいかなる文脈のなかで用いられてきたのかを学ぶことなしには下すことができない。

文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史の中で繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだ——これまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世界じゅうの文学作品に描かれてきたのかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。

統計や概要、数十文字や数百文字で伝達される情報や主張、歴史のさまざまな局面につけられた名前の羅列は、思考を誘うための標識や看板の役割は果たせても、思考そのものにとってかわりはしない。私たちは日々そういった無数の言葉を受けとめながら、常に文脈を補うことで思考を成りたたせている。文脈を補うことができなければ情報は単なる記号のまま、一時的に記憶されては消えていく。

文字が記号のままではなく人の思考に近づくために、これまで世界中の人々がそれぞれに想像を絶するような困難をくぐり抜けて、いま文学作品と呼ばれている本の数々を生み出してきた。だから文学が歩んできた道は人と人との文脈をつなぐための足跡であり、記号から思考へと続く光でもある。もしいま世界にその光が見えなくなっている人が多いのであれば、それは文学が不要なためではなく、決定的に不足している証拠であろう。奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を:文学を探しにロシアに行く』(イーストプレス、2021年)



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