わたしのナショナリズム:杉本博司の「国威発揚」に思う

 すこし古い話になるが、昨年文化功労者に選ばれた芸術家の杉本博司が「国威発揚」を行っていく、と発言して議論を呼んだ。長いが杉本のコメントを以下に引用しておこう。

 この度、文化功労者として顕彰されることは光栄のいたりでございます。私は成人してからのほとんどの時間を海外で過ごしてまいりました。その間、日本文化がいかに日本以外の文化に比べて特殊であるかということを身に沁みて感じ、またそのような環境のもとに生を受け、幼少期から青年期の多感な時期を過ごせたことを有り難く、また誇りに思ってまいりました。私は日本人として、海外の人々からの日本文化に関しての様々な質問に答えてまいりました。いわば日本人の日本に関する説明責任を果たしてきたつもりでございます。今世界は成長の臨界点に達し、成長と環境破壊との矛盾になす術を持ち得ていません。私は日本文化の特殊性は、その豊かな自然に囲まれて過ごした縄文の1万年によるのではないかと考えるようになりました。文明化とは森を切り自然を壊すことから始まります。古代の日本人は森を壊すことを禁じ、自然界に潜む神々と交信する技術を学びました。その時代に育まれた感性が今の日本人の血にも脈々と流れています。これからの難しい世界を導くことのできる力は、そのような感性の内に見出されるのではないか、自然と共生することのできる文明、それは日本人の感性の中にあると私は思います。文化功労者として、これからも国威発揚を文化を通じて行っていく所存でございます。


 この「国威発揚」が右翼めいていたり、文化を利用したプロパガンダを思わせたりして批判された一方で、いやこれは杉本一流の皮肉なのだとかいう見解もあった。ナショナリズムにたいして否定的な見方が強い日本では、こういう国家主義めいた発言がすぐ炎上するのはよくある話だ。

 ただ、杉本の芸術や著作に触れた人であれば、彼の思想が決して「八紘一宇」のようなファシズム、軍国主義とは無縁であることはわかるはずだ。彼は日本古代の精神が戦前に軍国主義につながったことについて、こう書いている。

 上代日本人の純朴雄健の精神が、なぜ戦争へと向かっていってしまったのかは腑に落ちない。日本は敗戦によってすべてを失ってしまったわけではなかった。国破れて山河は残され、そして純朴は残り雄健の精神は破れ去った。しかしその後の敗戦に続く経済復興によって、残された純朴な日本の古代からの風景は失われていったのだ。(『アートの起源』2012年、36頁。)


 では、杉本の「国威発揚」とはなんだったのか。それにたいする答えは、わたしは持っていない。

 ただ、わたしはひとりの(わたし自身の定義における)ナショナリストとして、彼に強く共感する。その共感する部分について、以下で書いてみたいと思う。

※「このブログについて」というところで書きましたが、ここは一般論とか客観的・論理的に正しいことではなく、「わたし」を主語にしたことばを書くところです。できる限り論理的一貫性は持たせていますが、わたしの主観を前提にした文章です。杉本が正しいとか間違いだとかを書くつもりはありません。


江之浦測候所。



 まず、わたしの思うナショナリズムとは、地域や出自に基づく集団が持っている過去、伝統、思想を尊重し、守ろうとする姿勢である。それさえあればいい。

 その集団とは、「日本」でも「奈良」でも「沖縄(ウチナー)」でも「宮古(ミャーク)」でもいい。つまり今現在の国家でなくてもいい。ネーションは、後述するように、所詮意識されたときに出現する想像上のものだから。

 そして、その集団にたいして誇りを持つことは、独裁制とも排外主義ともファシズムとも関係ない。自民族が他民族に対して優れていると主張する必要もない(そもそも日本は単一民族国家ではないけれど)。むしろ、他の集団に対しては自集団と同じように尊重するほうが自然だと思う。


 先崎彰容が『ナショナリズムの復権』(2013年、ちくま新書)で書いているように、本来、ナショナリズムは、全体主義でも宗教でもポピュリズムでもない。
また、日本大百科全書の「ナショナリズム」の項目にはこう書いてある。
 ナショナリズムというと、とかく八紘一宇やドイツ民族の優秀性といった偏狭な国家主義が想起されがちだが、ナショナリズムとは、本来的には、自由で民主主義的な自分たちの国を愛する精神、それは同時に他の国々の国民の生命や自由をも尊重するという精神に力点があることを忘れてはならない。誇るに足る国家を形成し維持・発展させていくことこそが真のナショナリズムの精神といえよう。(田中浩。下線は引用者、以下同じ。)


 もうひとつ大切なポイントは、そのネーションが絶対ではなくて、移ろいのある、不安定で、絶えず変化するものだ、ということだ。

 国民、など実体としては存在しない。想像上の産物であり、近代の産物である。国への帰属意識なんてない時代が長らくあった。あと何百年後か分かんないが、いつか「昔の人は国家なんてものを作ってたんだって」と言われる日が来るだろう。ベネディクト・アンダーソンを引くまでもないが、いちおう引用しておこう。
 国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である。[中略]  いかに小さな国民であろうと、これを構成する人々は、その大多数の同胞を知ることも、会うことも、あるいはかれらについて聞くこともなく、それでいてなお、ひとりひとりの心の中には、共同の聖餐(コミュニオン)のイメージが生きているからである。(『想像の共同体』1997年、24頁。)

 そしてまた、「日本」がもつ特性も、絶対ではない。日本文化を考えてみればいい。安土城のような豪華絢爛もあれば、千利休や小堀遠州のわび・さびの世界もある。禅もあれば密教も神道も修験道もある。そこに、唯一絶対な「日本的なもの」など存在しない。日本の風土やDNAに還元できるものでもない(この点、杉本が同意するかはわからないが)。いやもちろん、日本の風土に育まれたのは確かだろう。だが同時に中国や朝鮮、欧米からの外来文化の受容と排斥もあり、つねに政治・外交・経済などに影響されていた。それを「日本の風土」とか「自然との共生」などとまとめて、ひとつの「日本的なもの」を言葉で表現することはできない。

 だから日本的なものとは、無数にある、連続的なもの。その総体としてしか、存在しない。

 しかもその日本という枠組みも、絶対ではなくて、移ろいゆくものである。富士山が日本で一番高い山……ではなかった時代が、19世紀末から半世紀あったことを考えてもらえば分かるだろう。台湾が日本統治下だった頃、富士山より高い新高山(玉山)が日本にあった。「日本」という国号が使われはじめたのは7世紀ごろだが、その頃は今とは全くちがう領域が日本だった。戦時中は「日本人」とされる人さえ、今よりずっと多様だった。

 「日本人」の成員が流動的であるんだから、排他的では、決して、ない。わたしの定義では、「日本」へのナショナリスト(これを〔日本人〕と書くことにしよう)には、望めば誰だってなれる。いや、日本っていいな、と思ったそのとき、人は〔日本人〕なのだ。国籍とか血統・出自とか民族は関係ない。だってそうでしょう、日本人なんて、時間差こそあれ、みんな海の向こうから渡ってきた人たちなんだもの。
つまり理屈の上では、望むままにどんな集団のナショナリストにもなれるのだ。

さて、ここで杉本の言葉を見てみよう。

「海外に長くお住まいですね」
「私は法的には在留邦人と呼ばれます」[中略]
「在留が長くなるとどうですか?」
「日本が見えてきます」
「どのように?」

「もっと日本人になりたくなります」(『苔のむすまで』2005年、156頁。)
この「日本人になりたい」という思いこそがわたしの考えるナショナリズムの本質なのだ。
江之浦測候所、明月門。



 ここまでわたしの定義におけるナショナリズムとは何か、を見てきた。
ではなぜわたしがナショナリストなのか。なぜナショナリズムが大切だと思うのか。

 答えを先に言おう。それは世界の多様性を保ち続けるためであり、ただひとつの「真実」(とされるもの)に誘導されず、心と思考をしなやかに保ち、多角的な考え方を持ち、多様な視点を持ち続けるためであり、またひとつの「真実」によって他者を縛らないためである。

 真実も、価値も、それらがアプリオリに存在するのではない。人間が見つけるものなのだ。
 美しい花というのは存在しない。花の中に美しさを見つけるのは人間だ。美しさは、異なる人びとが多様に定義している。真実、正しいこともまた、さまざまなロジックによって多様に定義しうるものなのだ。それがひとつの言葉によって支配されるとき、人は多様な美のあり方を楽しむことはできなくなり、世界は美しいものと醜いもの、正しいものと間違ったものに二分されるであろう。


 水村美苗は『日本語が亡びるとき』(2008)のなかで書いている。

この世には英語でもって理解できる〈真実〉、英語で構築された〈真実〉のほかにも、 〈真実〉というものがありうる。(p.88)
想像してみてください。一つの「ロゴス=言葉=論理」が暴政をふるう世界を。 なんというまがまがしい世界か。そして、なんという悲しい世界か。(p. 93) 

忠臣蔵を考えてみればいい。たとえばいま、江戸城内で(っていうのはないから、たとえば国会で)、赤穂の国会議員・浅野が、吉良議員に馬鹿にされて喧嘩に発展し、吉良をバールのようなもので殴りかかって怪我を負わせたとしよう。
浅野は切腹を命じられ、吉良はお咎めなし。それに不満を持った浅野の手下たちが、吉良の家に討ち入りをして、吉良の首を取る。

 法学の考えの浸透した現代であれば、馬鹿にされたとはいえ斬り付けた浅野が悪いのは当然(実を言うと浅野の処分について当時は緒論あり、切腹を命じるよう進言した荻生徂徠はかなり近代的な考え方だったんだけど、それは今回は触れない。ただ当時は浅野に同情する人が多く、この判断を不公平だとする民衆が多かったことは重要である)。それで浅野の家臣が敵を討つなんていう私的制裁が許されるはずはない。と、だいたいは考えるでしょう。たぶん。

 でも「喧嘩両成敗」とか「忠」という考え方が、日本にはあった。それが西洋的な論理に置き換えられたのだ。

 「忠」なんてロジックとはいえない、と考えるかもしれない。しかし西洋の言葉(=思考の様式)で培われた論理(つまり"ロゴス")こそがロジックであるという考えそのものが、きわめて西洋的な論理に依拠するものである。(だからといって、日本では忠の考えが正しい!と言い切る訳でもない)

 いま、わたしがいるような学問の世界ではほとんどすべて、西洋の言葉で考えられている。研究論文はもちろん日本語で書くが、思考のツール、つまり概念や言葉はほとんどが西洋の翻訳語に基づいている。その意味ではわたしたちは西洋語で思考している。
いま、本居宣長のように考えることが出来る人間は日本中さがしてもいないだろう。

 それがどれだけ不自由であり、また世界を狭い視野で解釈しようとしていることか。
忠臣蔵のような正義が許されず、刑法の論理でしか人を裁けない世界を志向する危うさを、わたしは感じている。



 さて、水村のいうところの日本語が「亡びる」とは、「ひとつの〈書き言葉〉が、あるとき空を駆けるような高みに達し、高らかに世界をも自分をも謳いあげ、やがてはそのときの記憶さえ失ってしまうほど低いものに成り果ててしまう」(p.52) ことだという。

 より具体的に言おう。水村は「普遍語」と「現地語」(と「国語」)という理念型を提示している。普遍語とは「上位のレベルにあり、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負わされる」(p.152)ものであり、宗教や学術の世界で用いられる、東アジアの漢文やヨーロッパのラテン語などを指す。
そして現地語とは日常会話の言語であり、知的な役目を負うことのない、多種多様な言語である。現在、津軽弁やウチナーグチで学問をやる人はほぼいないでしょう。そういう言葉のことだ。

 そして、日本語は、「日本語は〈普遍語〉の高みに近づき、美的な重荷を負うだけでなく、時には〈普遍語〉と同じように、知的、倫理的な重荷を負うのが可能な言葉」(p. 169)であったという。

 水村が警鐘を鳴らすのは、英語が猛烈な勢いで「普遍語」となるなかで日本語が「現地語」となり、知的な営みから疎外された言語に成り下がることである。そしてそのとき、赤穂浪士を刑法で裁くような、唯一絶対の「正義」が世の中を支配する世界になる。それがいかにまがまがしく、暴力的であることか。

 多様なことばを守るため、世界を画一主義の静かな暴力から守るために、わたしはナショナリズムを選ぶ。

江之浦測候所、茶室「雨聴天」躙り口の踏石


 ただ、やたら日本をすごいと思いたがる最近の安い文化的ナショナリズムとは違う、ということは、ひとつの留保として書き付けておきたい。

 最近よくある「日本すごい」言説…たとえば日本の○○に世界が感動、みたいなもの。それは、わたしの思うナショナリズムとは、相容れない。その理由を簡単にいえば、日本のことばで日本の価値を評価していないからだ。
 日本の内にある価値によって日本に誇りを持てないのであれば、ナショナリズムではない。自らを認めて貰うために、外在的な権威に頼るのだとしたら、それはとても、かっこ悪い。自分の自信のなさゆえに「僕のこと好き?」と聞きまくるキモチワルイ奴と同じだ。本当に自分に自信があれば、他人にどう思われているかではなくて、自分のものさしで、胸を張って生きていけるでしょう。

 そしてまた、わたしのナショナリズムは、ひとがネーションの成員であることに無条件の価値を置くものでもない。そもそもネーションの成員なんていうものが、想像上のものなのだから、当然だ。ナショナリストとして、何かの価値を認めることとは、それがそのネーションの価値基準において認めることである。したがって、ナショナリティと関係ない部分で、おなじネーションの成員が功績を挙げたからといって、評価するものではない。そして、ナショナリティとはもちろん、数ある多くのアイデンティティの1つでしかない。

 分かりづらいから具体的に言おう。
 たとえば、私が〔日本人〕として杉本の芸術を評価するのは、彼の芸術が日本の美を深く理解し、吸収し、新しい要素を取り込み、精錬し、表現しているからである。彼が日本美術とは全く無縁でありながら素晴らしい芸術を作り上げたとしたなら、わたしは彼を芸術家として賞賛するだけであって、同じ日本人だから誇りに思う、という訳ではない。
 したがって、わたしは羽生弓弦選手を尊敬するけれど、「同じ日本人として」感じることはほとんどない。ザキトワ選手と同じように、羽生選手も尊敬する。それだけのことだ。だからわたしは、オリンピック・パラリンピックで日本人の活躍ばかりを褒め称える報道に違和感を覚えていたし、稀勢の里や琴奨菊ら「日本人」力士の優勝を伝えるニュースにも嫌気がさしていた。活躍した選手、国籍に関係なくもっと賞賛すればいい。(それに、メダル至上主義みたいなのも嫌だった。勝手に「(金)メダル獲得」という目標設定をメディアが行って、取れなければ(入賞しているのに!)「メダル逃す」みたいな報道。)


 「国際人」とか「グローバル人材」なんていうものが、もしあるとしたら、彼らこそナショナリストであってほしい。海外に出て、ある程度の教養のある人と関わるようになれば、日本文化について聞かれることも多いだろう。禅や神道、源氏物語だけではなく、慰安婦や原爆、捕鯨について意見を求められることもある。ひきこもりや春画について聞かれたこともある。
 いくら流暢な英語で商取引の交渉ができたところで、日本の社会や文化を理解し、説明できなければ、それはただ英語という言語を身に付けた人でしかなく、かつまた、日本語のロゴスを失った人になってしまう。英語帝国主義に飲み込まれただけの人が、グローバルな人材であるのであれば、もはやこの世界に日本の居場所はないだろう。




さて、この辺で杉本の話に戻ろう。

 けだし「日本語が亡びるとき」とは、とりもなおさず、「日本美術が亡びるとき」ではないか。

 いや、日本美術はもう亡びかけているのかもしれない。いま、笠と杖の文様を見て謡曲「鉢木」の北条時頼(註2)を連想できる人は、ほとんどいない。それでも、杜若や蔦で伊勢物語の「東下り」の八橋や宇津山を連想できる人はそれなりにいる。蓮華から仏の教えを連想する人は、たぶん、それよりも多いだろう。
 こうした文学的・思想的なシンボルが、日本の美術、すなわち浮世絵や漆芸や絵画や服飾などに埋め込まれていた。それが、少しずつ忘れ去られようとしている。

 日本美術のなかに埋め込まれた言葉(思想、文学、宗教…)が忘却され、たんに審美的な部分、それも西洋的な美の基準で、のみ美術が見られるようになるのであれば、それは日本美術が亡びるということではないのだろうか。仏像ブームのなかで、仏像を仏教の教えを具現した祈りの対象ではなく、「美術」として見ることも、そのひとつだろう。
いや、そもそも「美術」という言葉こそが西洋のロゴスであり、工芸や書画や仏像を美術として捉えている、このわたしも日本美術の落日のなかにいる。


 杉本が、日本美術のよき理解者であり、最大の体現者であることに疑問を挟む余地はない(と、わたしは思う)。杉本の作品には、縄文から現在にいたる日本美術の血が流れている。受け継がれてきた日本の美を吸収して表現する一方、忘れ去れれそうな伝統的な建築の工法も用いて、時代の最先端のイメージを提示し続けている。

 そんな杉本は問う。日本美術を忘れつつあるわたしたちは、本当に日本人であるのだろうか、と。フェノロサやマルローといった、深く日本美術を愛し、理解した異邦人たちの功績を紹介する文章で、こう書いている。
 5人の異邦人は、私達に日本美術のたぐい稀なる美しさを知らしめてくれた人びとである。この人達の前では、私達日本人が日本美術の前で異邦人なのではないだろうか。(『苔のむすまで』 171頁)


 日本語、あるいは日本美術が亡びそうになるとき、ひとびとに〔日本人〕であろう、と呼びかけること、それが杉本の言う「国威発揚」ではなかったかと、わたしは思うのだ。

MOA美術館

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(註1)「国威」という、国家を前提とした語彙を使われたことには共感できないので、その点は留保しておきます。
(註2)ここにあらすじが書いてあるので参照されたい。浮世絵にはよく描かれた謡曲である。笠と杖は僧の姿の北条時頼のシンボルで、服飾や蒔絵によく用いられた。これもまた忠や恩といった日本の価値観を示すものだろう。

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