『完全自殺マニュアル』が教えてくれたこと(生きることへの圧力に抗して)

ずっと死にたいと思っていた十代の頃、わたしの座右にあった本の一冊が鶴見済の『完全自殺マニュアル』だった。

わたしよりも若い方ではもう、ご存知の方は少ないのかもしれないが、『完全自殺マニュアル』といえば90年代に爆発的にヒットした自殺のマニュアル本である。服薬から首吊り、飛び降り、ガスから餓死まで様々な自殺法の苦痛や手間やインパクトや致死性を丁寧に解説した書物である。樹海の地図や華厳の滝への行き方まで載っていた。
有害図書に指定されるなど、問題視されたり批判されたりもあったが、100刷を超えて現在も増刷されるロングセラーになっている。今は死語になってしまったメンヘラという言葉が流行るもっと前、心を病んだり生きづらさを抱えた人にとっては伝説的な本だったと思う。

印象的だったのは首つり自殺は楽だし苦しくない、ということ。なぜなら首締めが気道を塞ぐから苦しいのに対して、首吊りは体重を使ってより深層の動脈や神経を締めることで数秒で死に至るからであり、なおかつ身長よりも高い場所に紐を吊さなくても、ドアノブくらいの高さがあれば簡単に自殺できるということだった。

死のうと思えばすぐに死ねる、そう思うと心はいくらか楽になった。死のうと思えばすぐ死ねるんだから、なるようになればいいと。だからわたしはこの本を心の拠り所にして生きた。



死ぬための本を心の拠り所にした、と言えば矛盾して聞こえるかもしれないけれど、実際にこの本は生きづらさに風穴を開けてくれたと思う。もしこの本が死ぬために役に立つだけの本であれば、きっと自殺者は膨大な数に膨れ上がっていただろう。だけど実際には、いつでも死ねるというひとつの安心感が、死にたいと思う人の居場所を作ったのではなかったか。


この本の冒頭に書かれたメッセージは力強い。
僕たちひとりひとりが無力で、いてもいなくてもどうでもいい存在で、つまり命が軽いこと。[...] こうした無力感を抱きながら延々と同じことをくり返す僕たちは、少しずつ少しずつ、"本当に生きてる実感"を忘れていく。[...]だからもう「命は大切だから自殺はいけない」だの「生きていればいつかいいことがある」だの「まわりが悲しむから生きなさい」だのといった言葉は、「犬もあるけば棒にあたる」ほどの重さしか持ってない。[...]そう、死んじゃってもいい。[...]こういう状況のなかで、もうただ生きてることに大した意味なんてない。もしかしたら生きてるんじゃなくて、ブロイラーみたいに"生かされてる"だけなのかもしれない。だから適当なところで人生を切り上げてしまうことは、「非常に悲しい」とか「二度と起こしてはならない」とか「波及効果が心配」とかいう類の問題じゃない。自殺はとてもポジティブな行為だ。

という。前向きに生きている方や、生きることに希望を抱いている方にはなかなか共感しづらいかもしれないけれど、バブル崩壊以降の世代の生きづらさを抱えた層の閉塞感を的確に言い表しているのではないかと思う。このまま生きていても、せいぜい会社員としてそれなりの暮らしをして子どもを残して死ぬくらいのことしかできないし、それさえも保障されていない。真面目に生きていれば、「いつかはクラウン」に乗れるような明るい未来があるわけでもなく、駒として会社に使われ、そのかわりに給料をもらって生きるだけ。それだけの暮らしになんの意味があるのだろう。そんな閉塞感。

それでも、こうしたことを表立って言うことはむずかしい。死にたいといえば、「命を無駄にしてはいけない」とか、「生きていればいいことがある」とか、ときには「自殺は弱い者のすることだ」とか言われる。そもそもなぜ生きなければならないのか分からないのに、根拠もなく「生きなさい」と言われても、閉塞感や不調和はかえって大きくなるだけだろう。そして、「強く」生きるという、無理な注文を押しつけられれば、それができない人は自分をさらに責めるだけになる。


なぜ、生きなければならないのか。これに対する論理的でかつ有効な説明は、いまだかつてなかっただろうし、そしてこれからもないように思われる。いかにわたしの存在が比類ないものであろうと、まわりが悲しもうと、他の人が生きたいと思っていようと、わたしの辛いから死にたいという思いに勝るような有効な説明が、どこに見いだされるというのだろう。

自分が本気で死にたいと思っていても、なぜか社会は「生きなさい」という。たとえ優しさの言葉であろうと、いや優しさの言葉であるからこそ、それがどれだけ、本人の孤立感を深め、誰も分かってくれないという絶望感を抱かせ、生きることを辛くしていることか。そんな生きづらさに、鶴見の言葉は共感を示してくれたのではないか。鶴見はあとがきにこう書いている。

別に「みんな自殺しろ!」なんてつまらないことを言ってる訳じゃない。生きたけりゃ勝手に生きればいいし、死にたければ勝手に死ねばいい。生きるなんて、たぶんその程度のものだ。 

 みんなが生きなさい生きなさいというなかで、死んでもいいんだよ、と共感を示してくれること。それが、生きづらさに風穴を開けてくれたのではなかっただろうか。死にたいと思うことすら認めようとしない社会。でもいつでも死ねるんだという安心感があれば、とりあえずは目の前が晴れたように思える。

「いのちの電話」も自殺相談も、生きることへの無条件の肯定がある。だから死にたいというわたしの辛さとは相容れないものがあった。だから一度も相談しようとは思わなかった。どうせ分かってくれるはずないのだし。

「死んでもいいんじゃない?」「死にたいと思ってもいいんだよ」という共感こそ、わたしの求めていたことではなかっただろうか。誰も分かってくれないなかで、この本を拠り所にできたのは、そういう理由ではなかったか。



ところで、インターネットは、死にたい人の死にたいという気持ちに共感できる人を見つける場所を作ったのではないだろうか。まだSNSもブログもなかった90年代から00年代中盤、個人がタグうちでホームページを作っていた時代。そう、テレホとかバーチャルネットアイドルちゆ12歳とか、そういう時代。

わたしは当時カリスマ的なリストカッターだった南条あや氏の日記とか、若くして自死した二階堂奥歯さんとか、死にたい人たちの日記を夜な夜な読みふけっていた。そういうアングラなところに、社会の大多数からは認められることもないであろう心の叫びを書き綴っている人たちがいた。わたしと同じように辛さを抱えた人たちがいた。
それでもわたしは自分の感情を表出することのできない子だったから、ネット上に死にたいと書き込んだことは一度もなかったと思う。

そして一度だけ、死にたい人たちのオフ会にも参加したことがある(わたしはほとんど立ち直った後だったのだけど)。端から見れば、夏場なのにみんな長袖であること以外は本当に普通の明るい飲み会だったと思う。初対面なのにどこか打ち解けた雰囲気があり、普段は誰とも共有できない「死にたい」という思いを、そこでは後ろめたさもなく表現することができた。酒が進むと、どんな風に死にたいかとか、楽な死に方とかを話して、「ああ〜、いいね、そんな風に死ねたらいいね〜」なんて話してスッキリしていた。あの時あった人たち、まだ生きているのかな。


SNSが普及してから、もっと死にたい人は繋がりやすくなったのだと思う。見ず知らずでも、「死にたい」という思いがあるから、繋がることができる。あなたを助けますというお節介もなく、生きましょうというやかましい声を聞くこともなく。

そんななかで起こった先日の座間の事件。本人が死にたいと思っていたとしても、やはりわたしには痛ましい事件に思えてならない。
彼らは本当に死にたかったのだろうか。(そもそも、ひとは100%なにかをしたいと思うということがあるのだろうか。あったとしても本人がそれを自覚できるものだろうか?)
彼らは死にたいという思いを共感し、一緒にいてくれる相手を探していたのではなかったのだろうか。あるいは、一緒に死んでくれる相手。だからある意味でそれは、死にたい自分を(死なすとかその他の方法で)なんとかしてほしい、であって、単に「殺してほしい」ではなかったのかもしれない。

「死にたい」というメッセージは、ただ死ぬことを欲することではないように思う。死にたいという思いを認めてほしい、そして生きることへの絶え間ない圧力から解放されたい。そういう苦しみが隠れているようにも思うのだ。

だからこそ、わたしは、死にたいと思う人に、生きましょうとか、生きてほしいとは言えない。彼らがどれだけ、空疎なメッセージに裏切られてきたかを知っているから。でも、死にたいという気持ちに共感することで、すこしでも居場所を作ることはできるようにも思う。

そして、わたし自身、誰にも死にたいという思いを打ち明けられなかったように、だれも分かってくれないという思いが強ければ、きっと「死にたい」なんて、思っていても、言わない。そうしてひとりで苦しんでいるひとも、きっといる。そのほうが問題は深刻なのではないかと思う。
もしわたしがそういう人たちに声を掛けてあげられるなら、死にたいと思ってもいいと思うよと、つたえてあげたい。





【補記・1月6日】


このブログを読んだ方から、「生きなさい」も「死んでもいい」もどちらも自殺を肯定しているのではないか、ひいては殺したり死なせることを肯定することと地続きではないかという、鋭い指摘をいただきました。書き足らないところもあったので、それについていくつか書き足しますね。

わたしは、今まで生きてきてよかったと思っているのですが、だからと言って死にたい人に生きることを勧めるほど生きることに絶対的な価値を認めるということはできていません。上にも書いたように、なぜ生きなければいけないかという点に対して、有効な説明がないからであり、かつまた、論理的に説明できたとしても、死にたいという本人の希望には何の影響も与えられないと思うからです。同時に、死についての価値も認められません。だから辛ければ死ねばいいとか死んでもいいとも、思いません。
死にたいという思いと、死ぬことは違う。だから、「生きたいと思わなくてもいい」「死にたいと思ってもいい」と「死んでもいい」とは、実は違うことです。わたしが認めるのは、いまのところ前者だけです。ここが、鶴見とわたしの見解の相違するところです。


けだし「生きなさい」「死んでもいい」という二元論では行き詰まる。それでも、「死にたい」と思うことを認め、寄り添い、共感することはできます。
死にたいという希望は本人の者であるから変えられないとしても、死にたさに伴う辛さを軽減することはできると思うのです。


まずは、死にたいという思いを認めること。死にたいと思うことと実際に死のうとすることの間には、ずいぶんと距離があります。そして本人が実際に死のうとしない限り、ともに生きていくことはできる。死なない限り、支えていくことはできます。そのためのひとつの手段として、安心して死にたいと言える場所を作ることからはじめませんか?




前向きに生きることが偉いことだとは思えない。過去の思い出にすがり、叶わなかった夢を何度も反芻し、他人の心ない言葉に何度も傷つき、なんどもなんども後ろを振り返りながら、過ぎ去った日々に心奪われて生きていく。そんな生き方もあるだろう。

自分を傷つける全てに見ないふりをして、すべてを何らかの活動力に転化することが強さなのだとしたら、「生きる力」の強さとはなんと儚い、偶然の産物であることか。もし本当に心の「強さ」があるとすれば、それはとりもなおさず、相対的に「弱い」人があることを認めることでもある。
そしてそれは、弱いから生きづらいのだと、本人を責めるのと同じことでもある。生きるのが辛いのは、本人が弱いからだという同語反復(トートロジー)に何の意味があるというのか。

もちろん、後から感情の制御を身につけるということもできる。わたしが禅によって悩まないすべを身につけたように。だけどそれはひとつの「技術」でしかなくて、どこか不自然な、偽りのような、誠実ではない印象もするし、そういう後付けの技術は「強さ」みたいな才能とは違うものだ。


仮に「強さ」や「弱さ」があるとしてもそれは、強さを「鈍感」、弱さを「敏感」と言い換えてもいいようなものだろう。多くの人が気にも留めないようなことでも、敏感な人は傷つく。他人の悲しみですら、いや他人が悲しいと思わないような些細なことですら自分の悲しみのように感じ、息の詰まるような思いをする。

すべての人が自分に降りかかるすべてを自分一人で受け止めることができるほど、強くはない。敏感に生まれついたことのどこに、その人の責任があるというのだろう。




茨木のり子さんは書かれていた。

「初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始まるのね」

と。
そして、

「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな」

と。
そして、

「頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛えるような必要は少しもなかったのだな」

と。


「強く」生きること、つまりこの世の悲しみを、悲しみとして認めず絶えずエネルギーに転化することは、他人の悲しみに寄り添わず置き去りにして先に進んでしまうことであり、ある意味では「人を人とも思わな」いことと裏表なのかもしれない。それが自分勝手なことに思えるのは、わたしだけだろうか。

わたしは生牡蠣のような感受性のまま、苦しむ人たちに共感しながら生きていきたいです。

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