「終戦の日」に

子供の頃からずっと違和感を覚えていたことのひとつ。
戦争や原爆といえばなぜか二言目には「平和」が出てくること。あるいは、「平和」の話といえばつねに戦争の話と同義であること。



平和宣言といえばなぜか非戦への誓いだったし、
「平和学習」ではなぜか戦争の話を聞かされた。

この単純な戦争と平和の対比が腑に落ちなかったのだけれど、それをうまくことばで表すこともできなかった。


この違和感の正体に気づかせてくれたのは『この世界の片隅に』の原作者、こうの史代だった。
「『原爆』というとすぐに『平和』に結びつけて語られるのが私はいやなのだと思います。だって、まるで原爆が平和にしてくれたかのようじゃないですか」



わたしたちは、戦争を悲劇や、残忍さ、悲しい美談として片づけようとするドラマや映画に囲まれて育った。それは確かに、戦乱の時代にはなかった平和の尊さに気づかせてくれるものではある。戦争を経験した人たちは、いかに戦争が悲惨なものであるのか、戦争を二度と起こさないためのメッセージ、を伝えたかったのだろうし、じじつ、私だってそういう作品を読んだり見たりして胸が押しつぶされそうな思いがした。

だけど結局、戦争がなければ平和であるかのような、火垂るの墓みたいな戦争の切り取り方は、どこか一面的な、後出しじゃんけんみたいな匂いがしてリアリティに欠けるし、戦争を涙で装飾しようとするきわめて表面的な層にしか届かない。悲惨だ、だから繰り返してはいけない、というメッセージは、どうしたら繰り返さないでいられるのかに迫ることはできないし、まして平和を守るための道筋を示唆しない。

しかも、惨禍のあとに平和が訪れた、というストーリーは、戦争を生き抜き、日本を立て直した人々への敬意を欠いているように見える。

戦争が終わっても平和が訪れず、恐怖と混乱の中に生きる社会は今でもたくさんある。戦争によって植え付けられた憎悪や猜疑心を払拭できずに生きる人々が、世界にはまだまだいる。ルワンダやアフガン、イラクがそうだし、(早く見積もっても)近世までのヨーロッパや中世までの日本もそうだったでしょう。


単純なことだが、戦争が終わったから平和になった訳ではないし、平和とは、簡単に戦争と対置できるような概念ではない。戦争がなくても平和に生きられない世界はあるのだから。
ましてや、あの戦争が、あの原爆が日本を平和にしてくれた訳ではない。


だとすれば、私たちを平和へと導いたものは何だったのか。わたしたちが、戦争を過去のものとして片付けることができたのはなぜなのか。いま私が、戦争にたいして「平和」のまなざしを向けられるのはなぜなのか。

思うに、戦後72年間、私たちが守り抜いてきたものとは、ひとりひとりの命のかけがえのなさではなかったか。そして私たちが享受する平和の源泉とは、命を守ろうとする、ひとりひとりの不断の努力によるものではなかったか。
単に戦争の恐怖から人々が解放されることではなくて、
わたしたちの生命、生活の安寧が守られている状態、これを「平和」だと私は思いたい。



「命は大切」

という、あまりに陳腐で単純なことを、現実のこととして実行しようとしてきた。それが戦後の72年間ではなかっただろうか。


だとしたら、わたしたちのつとめとは、ひとりひとりの命の尊厳を、これからも守り続けるとこではないか。

話は変わるが、樹木の幹の内側はほとんどが死んでいるという。生きている細胞は樹皮のすぐ下の形成層だけだ。だから、皮を剥いだ樹木は枯れてしまう、

わたしたち人間も同じようなものではないだろうか、と思う。
今生きている自分は、過去に生きていた人たちに支えられ、その外側で生きている。わたしたちはただ独りでここに生きているのではなくて、社会を作り上げている幹の大部分は亡き人たちが生きてきた痕跡なのではないか。わたしたちの生き方とは、過去に歩んできた人たちによって方向付けられているのかもしれない。私たちは、歴史を背負って生きているのだから、好き勝手思うように生きられるわけではないのだ、とも思う。

戦争に反対すること、9条を守ること、暴力に抗すること、それらはすべて、ひとびとの生活を守るための手段のひとつに過ぎない。この平和のための努力のひとつひとつの蓄積が年輪となり戦後の平和を育んだのではなかったか。


戦後70年を迎えて、それが大きく変わろうとしている。

多くの命が失われた戦争を転回点として、命の尊厳を守ってきた日本が今年、核兵器を包括的に禁止する条約に参加しなかったこと。核兵器がどれだけの生命を苦しめ、生活を破綻させるかを、もっとも分かっているはずの国が、核兵器の開発も保有も禁止するための条約に参加しなかった。
戦前、犯罪行為に及ぶ以前に犯罪を取り締まることを可能にする立法が、内心を取り締まるに至った、治安維持法の反省から、戦後の刑法は実際に行為に及ばないと処罰しないことを原則とした。この反省を反故にして、政府は「テロ等準備罪」と成立させた。
憎悪と報復の連鎖を生み出さずに戦後を復興した日本の戦後処理、その恩恵を忘れて「自主憲法制定」を党是とする政党が憲法改正を断行しようとすること。そして国民が曲がりなりにもこの政権を選択したこと。

これらは、日本の戦後史の文脈で何を意味するのだろうか。


そしていま、集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲と安保法に基づき、北朝鮮によるグアム攻撃を根拠に、封じてきたものが容認されるかもしれないのだ。このことは、とりもなおさず、戦後私たちが守ってきたものが少しずつ崩れようとしているということではないだろうか。



戦争で失われる命ががあってはならないのは(仮に)当然であるにしても、そこに至る道筋は一つではない。ひとりひとりの命を守るためのアプローチ、平和に至るための道は、無数にあるだろう。
では、戦争反対という中身のないスローガン以外に、私たちが取れるアプローチとは何なのか。

ほかのどの国でもなく、日本がとるべき道とは何なのか。そのヒントは、私たちの外側ではなくて、過去の中に見いだせるのではないか。
そして、私たちが歴史を学ぶのは、自分たちの内に広がる年輪の中に未来への可能性を見いだすためではなかろうか。

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