(この世界の片隅に、)居場所を見つけるということ

居場所がない、と感じることが多い。

今もそうだ。

家にいれば病気の兄が一日中PCに向かって、ゲームをしているか、気付けばふんぞり返って昼寝をしているか。たまに、同じく病気の妹があおっちろい無表情な顔で幽霊みたいにうろついている。気を遣ってしまうから自分の好きなこともできない。おまけに母が朝から仕事の愚痴をピーチクパーチク喋る湿っぽい声が耳にまとわりつく。そんな自分の家には居場所がないなぁとおもう。

だからといって大学に行くと「帰りたいなぁ」なんて思っている。でもこの「帰りたい」というのは、もっと自由になれる場所、静かな場所、落ち着ける場所、自分が自分らしくいることを許される場所にいたいという意味であって、決して自宅に帰りたいわけではない。

行きつけの喫茶店、顔なじみの店、古本屋、図書館、寄席、映画館、そういう場所にいると、なんとなく自分はここにいてもいいと思えるけれど、それだって一時的なものであって、本当はそこに自分が落ち着ける場所なんてない。

ここに自分の居場所がある、なんて思えたことがあっただろうか。最後にそんなことを感じたのがいつだったのか、思い出せない。

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岸政彦はこんなことを書いている。

「居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、手に入らないかのどちらかのときで、だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。しかるべき場所にいるときには、居場所という問題は思い浮かべられさえしない。[...]私たちにとって、居場所というのは、ないか、一時的にその問題について忘れていられるかの、どちらかだ。/私たちは、どこにいても、誰といても、居場所がない。たとえ家族や恋人と一緒にいても、そうだ。だから私たちは、どこかへ行きたいといつも思っている。」(1)


居場所があるというのは、いわば、ゼロの状態であって、プラスではない。だけど居場所のなさは、マイナスだ。居場所があるときに居場所があるなんて感じないのだ。だからいつも居場所がないと感じる。そして、普段の生活の場が、恒常的に"居場所がない"場所であるならば、居場所のなさは、その人の生活に、延々とつきまとうことになる。


居場所がないと感じたとき、この岸の、失望感に寄り添ってくれる言葉の隣に、ちょっとした居心地の良さを感じる。こういう言い方が許されるなら、この言葉のどこかに、居場所を感じる。
だけど結局、居場所は感じていないところにあるということ以外に、居場所を見つけられることがない、という袋小路を、岸の言葉は明らかにしてしまったのだ。

わたしたちは、居場所を見つけることができないのだろうか。

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先日、片淵須直監督の映画『この世界の片隅に』を観た。
急に予定がなくなり、自宅にいたくなかったからだ。あまり戦争映画を観たくはなかったのだけど、予想に反して、すごくよかった。原作となったこうの史代の漫画も買ったし、同じくこうのの『夕凪の街 桜の国』も買った。(ちなみに漫画を購入したのは人生で2度目である)

なぜ戦争映画を観たくなかったか。それは、よくある戦争映画や漫画の、
安易な「戦争反対」というダメ、ゼッタイ的なイデオロギーでもって過去を恣意的に切り取り、その主張にあうところだけを誇張して見せつけるやり方(たとえば『はだしのゲン』や映画の『火垂るの墓』)だとか、あるいは戦争の死をワンパターンなロマンチシズムで覆い、感動的な物語に仕立て上げるやり方(たとえば『永遠の0』)が気に入らないからであった。それらはぜんぶ、後出しじゃんけんのような気がしていたし、突き詰めれば現代人が"過去"に向かって上から目線で批評しようとする傲慢さが隠れていたからだ。

その意味で、『この世界の片隅に』はむしろ、わたしの立ち位置に近かった。
たとえば原作者のこうの史代は、「惨禍をやたら 美しい悲劇として 昇華したがるもの、 それらに吐き気を覚えるのです。  それらは権威主義的 で、被爆地を 生き延びた人 や再興した人々にたいする 敬意をも欠いている気がします」(2)と断言し、
「『原爆』というとすぐに『平和』に結びつけて語られるのが私はいやなのだと思います。だって、まるで原爆が平和にしてくれたかのようじゃないですか」(3)という。

だから、たとえば、こうのはこの作品で広島・呉の人々の日常をユーモラスに描く。「ある種の"わくわく感"ですね。やっぱりそこはどうしても避けられないというか、戦争の悲惨さだけを語っていても、そういうものが好きなひとにしか届かないんですよ。ひとが戦争に惹きつけられてしまう理由を説明するには、その魅力も同時に描かないといけない。」(4)

お涙頂戴は嫌いだという。そして、人の死はニュートラルに描かれている。主人公すずの兄の死などは特に、笑いの要素も含んでいるが、感情を煽るような、安っぽい真似はしない。



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なにより、この作品は、観る人に開かれている、と思った。漫画の最終話「しあはせの手紙」は「あなた」を主語にした物語だし、これは「みぎてのうた」として映画にも使われている。
安易に悲劇で終わる訳でもないし、ましてや泣ける映画として片付けられるわけでもない。わかりやすい結末もないし、大文字の歴史のなかに物語を位置づけるわけでもない。
だからといってメッセージや結論が存在しないわけでは、決してない。

この作品は、題名が示唆するとおりに、居場所の物語として読むことができる。

紙屋高雪はいう。
「空襲で失われるものは居場所ではないのか——これがこうの史代がたどり着いた結論の一つである。物理的にもそうであるし、心理的・社会的にも『私はここにいてはいけない』と思わされるということだ。『この世界の片隅にさえいられなくなる』——それが戦争であり空襲なのだということなのだ。
こういう問いの仕方は、とても開かれている。例えば今いじめで居場所がなくなっている人、貧困で居場所がなくなっている人、そういう人にもつながる問題のとらえ方になる」(5)


主人公のすずは、みずからの目の前でひとりの家族を失う(ネタバレになるから詳しくは触れない)。そして、助けられたかもしれない命に思いを馳せ、自分に責任を感じる。
生きる場所を物理的に失い、かつまた、愛する人を失い自分だけが生きのびたことに、「私が生きていてよいのだろうか」と思わせる。

実はこの問題は、広島の原爆を生きのびた人の物語である、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』(2004年、双葉社)に、より強くみられる。
原爆が落ちた日、助けを求める友達や家族、見知らぬ多くの人を見殺しにし、自分は生きのびた。それから10年が経っても、幸せを感じるたびに、自分はその幸せに値しない人間であると感じる。「おまえの住む世界は ここではないと 誰かの声がする」(6)
そして、自らに好意を寄せる男性に言う。「……教えて下さい」「うちは この世におっても ええんじゃと 教えて下さい」(7)

『夕凪の街 桜の国』では悲痛な問いかけであったこの問題にも、『この世界の片隅に』ではある程度、答えが出される。つまり、この世界の片隅に、居場所が見つかる。

たとえば、作中で、子どもができず「ヨメのギム」を果たせないことを思い悩む主人公すずに対して、白木リンが教えてくれる。「誰でも何かが足りんくらいで この世界に居場所はそうそう 無うなりゃせんよ」と(8)
口うるさい小姑の径子も、「すずさんが イヤんならん限り すずさんの 居場所はここじゃ」「くだらん気がね なぞせんと 自分で決め」(9)という。嫁ぎ先の呉で、家族に迷惑ばかりをかけ、もう実家に帰ろうと思っていたときに。このことばに触れて、すずは呉に残ることを決める。
そして、亡くなった人たちの居場所が、私たちのなかにあることに、すずは気付く。嫁ぎ先の呉が、自分の選んだ居場所であることも。そして、自らの存在を見出してくれた夫の周作に、感謝する。

物語の最後に、「しあはせの手紙」が届く。「貴方などこの世界のほんの切れっ端にすぎないのだから しかもその貴方すら 懐かしい切れ切れの誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから」(10)「どこにでも宿る愛 変わりゆくこの世界の あちこちに宿る切れ切れのわたしの愛 ほらご覧 いま其れも貴方の一部になる」(11)


居場所がないと思ったとき、誰かに、自分の居場所を教えられ、認められる。
そしてその、認める—認められるの関係を超えて、自分の居場所が、自分の選んだ結果であることに気付く。他者の記憶や愛の一部が、自分の中にあることに気付く。そして、自分の存在に価値があることに気付く。
この見事な転化が、この世界の片隅(に)において自分の居場所を見つけるということなのかもしれない。



出典

(1)岸政彦、「出ていくことと帰ること」、『断片的なものの社会学』、朝日出版社、2015年、80-81頁。
(2)こうの史代、「なぞなぞさん」、『平凡倶楽部』、2010年、130頁。
(3)こうの史代・西島大介(対談)、「片隅より愛を込めて」、『ユリイカ 詩と批評』、第48巻16号、2016年11月、33頁。
(4)同上、33頁。
(5)紙屋高雪、「『この世界の片隅に』は「反戦マンガ」か」、『ユリイカ 詩と批評』、第48巻16号、2016年11月、70頁。
(6)こうの史代、「夕凪の街」、『夕凪の街 桜の国』、双葉社、2004年、25頁。
(7)同上、28頁。
(8)こうの史代、「第16回 19年9月」、『この世界の片隅に 中』、双葉社、2008年、41頁。
(9)こうの史代、「第37回 20年8月」、『この世界の片隅に 下』、双葉社、2009年、75頁。
(10)こうの史代、「最終回 しあはせの手紙 (21年)」、『この世界の片隅に 下』、双葉社、2009年、146頁。
(11)同上、149頁。

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