近現代医療史から考える、養生の意味

先日、私が世話人をしている勉強会で中国と日本における医学の歴史について話した。といっても通史的なものだけではなく、私が面白いと思った部分をいくつかピックアップして吉益東洞や安藤昌益の医学思想、古典にどんなことが書かれているのかな、なんてことを見ていったりした、私にとっては非常に楽しい2時間であった。

ところでこの勉強会自体は(活動は停滞しているが)、風邪引いたときくらいは自分で対処できるようにしよう、くらいのセルフケアを身につけ、自分の身体をある程度自分で管理するための知識を身に付けようという主旨でやっている(全然目的は達成できていないのだけど)。膨れ上がる医療費・社会保障費もそうだし、いわゆる「コンビニ受診(必要もなく病院を受診すること)」やら、そういう国民の医療全体の問題に対して、山火事にコップ一杯の水を注ぐくらいのことしかできないが、でもやれることはやろうという意思で、かなり気合いを入れて準備し、熱弁をふるっている。つもりである。

ともかく、医学史を学ぶだけではなくて、養生を心得ることが歴史的にどのような位置づけにあるのか、という点をひとつの結論にして、この会を締めくくった。それについて、喋るだけでなく文章化しておきたかったし、来たくても来られなかった人のために、あるいは本会でどんなことをやっているのか興味がある、という人のために、以下にまとめておく。

ご存知の通り、明治維新によって政府は西洋の医学を導入することとなり、漢方医学は衰退していくことになる。江戸中期から盛んになった蘭学の影響が基盤となってドイツ医学を受容したということは、こちらを読んでいただければ分かりやすいと思う。
この記事をまとめると、多くの医学用語がドイツ語であることからわかるように、日本に導入されたのはドイツ医学だった。実は政府はドイツ医学ではなく、より臨床に長けた(つまり軍事のために活用できる)イギリス医学を輸入したかったのだが、蘭学をベースにドイツ医学を学んだ医師たちの尽力により、政府は結局ドイツ医学を正式な医学として採用したということだ。

明治7年の医制の制定によって医師になるための試験が課され、その内容が西洋医学のものであったため、漢方医学は主流の医学の座をドイツ医学に明け渡すこととなった。明治7年時点で既に医師(漢方医・蘭方医)であった者に対しては、一定の条件で免許が与えられたが、彼らが死んだら漢方医はいなくなる。つまり医制以降は漢方は西洋医学を勉強した医者が片手間にやる程度のものになった。(鍼灸については、盲人のためというのもあって別の資格として成立した。)だから明治維新後は漢方はかなりマージナルなものになって、漢方をやっているなんていうと親戚にも白い目で見られたとか、そういう悲しいエピソードはたくさん残っている。。。
もちろん漢方を存続させようという動きもあって、その先陣を切ったのが浅田宗伯(1815--1894)。彼は明治天皇や海外の要人たちを治療した名医だが、彼が掛け合っても漢方は生き残ることができなかった。そして彼の死去により、漢方存続運動も急速に下火になった。

だいたいここまでが、ざっくりとした明治維新の医学の変容である。一言で言えば、ご存知の通り、漢方止めて西洋医学を受け入れた、という話だ。で、勉強会ではこの医学の変容をどう解釈できるか、という話をした。

明治に受け入れた西洋医学が、そのまま今の医学の起点だと考えるのも、早計な観が否めない。いや実際はそうなんだけど、否定することはできないんだけど、私が言いたいのは今の医学と当時の医学は社会的な位置づけが相当に違った、ということを強調したいのだ。どういうことか。

西洋医学は富国強兵をめざす政策と結び付いた。具体的には治療の側面だけではなくて、国民の衛生・健康を国が管理するという体制を作ったのだ。病気にならない身体を作り、体格を強化する。これによって労働力("富国"の面)、軍事力("強兵"の面)としての国民を管理し、その生産性の担保や兵力の拡張のために医学が用いられた、ということになる。つまり医学を通して国民の身体が国家と結びつけられた、あるいは国民国家の構成員として人びとを作り替える役割を医学が果たした、と解釈することは可能ではないだろうか。
現在では治療医学としての側面が大きくなったけれど、それでも同様の側面は残っている。予防接種や体育教育、健康診断などがそうだろう。あとマイナンバー制度とか?

ところで数年前、アメリカ主導で行われたパキスタンのポリオワクチンのプロジェクトにパキスタン・タリバーン運動(TTP)は強く反対した。たしか脅迫して、ガーナ人の医師を襲ったのだと記憶している。それについて、マララ・ユスフザイ女史が撃たれたときにTTP幹部がマララに宛てて書いた手紙のなかで、プロジェクトに反対する理由を、身体が国家に飼い慣らされるから、という旨の説明がされていた。
この手紙について田中真知さんのブログが詳しいので読んでいただきたいが、そこから引用すると、
バートランド・ラッセルは述べている。『食事と注射と強制命令を組み合わせれば、きわめて低年齢の段階で、当局にとって望ましい性格や考え方をもつ人間を生み出せる。権力を厳しく批判することなど心理的にできなくなるだろう』と。だからこそ、われわれはポリオ・ワクチンの予防接種に反対するのだ。
この主張によって襲撃が許されるかはともかく、神のみの支配を認め人による支配を否定するイスラーム過激派らしい主張ではある。身体も神のみに属するものであって、人や国家に支配されてはならないのかもしれない。。。

このような過激なやり方がいいかはともかく、この行為は支配権力から身体を解放する試みとして考えられるのではないだろうか。
同様に、身体への知識を身に付け、養生を心得ることは、自らの身体を国家から解放し、身体を自らの手に取り戻す手段になるのではないだろうか。もちろん、国家のお膳立てに頼らずに主体的な身体を獲得することは不可能だし、するべきでもないと思う。
しかるに、決して明るくはない日本の医療の未来を考えれば、そのお膳立てすらも頼っていられなくなる。いずれにしても身体の脱国家化は進むであろう。養生は、その時の為に転ばぬ先の杖として備えておくべきではないだろうか。

・・・というのが勉強会での私の主張であった。

補足です。私が言いたいのは、”こういう解釈が可能ではないか”ということであり、近代医学が本質的に身体を管理するためのものである、ということではありません。身体を管理するという側面を持っているからといって、あるいはそういう結果になってしまったからといって、医学とはこういうものなのだと主張するのは愚かです。こういう言説は近代医学を否定するためによく用いられますが、現象だけをみて本質を定義することは非常に危険。(たとえばこういう人たち)
視点を変えたら別の像が見えてくるのは明らかです。解釈はナイフみたいなもので、一面をスパッと切ってしまう切れ味のいいものが好まれるのだけど、それは内側の一つの側面しかみていないので、色んな解釈を組み合わせて現象を説明するべきです。人間の社会は複雑で両義的なので、いいとか悪いとか、陰謀だとか善意だとか、そんな単純なナイフで切り取れるものではない。悪いと思えば悪い面だけ見えるのは当然ですが、そんな見方をしていると、対象物が本質的に悪であるという錯覚に陥ります。解釈できない部分、わからない部分はあって当然なので、分かった気になって安易に批判したりしないで多角的に見るべきです。

もう一つ付け加えたいのが、歴史を学べば、ある物が脈々と同じ意味で存在したのではないことがわかる。たとえば医学にしても、それは王権の権威の誇示の手段であったり、知識人の特権であったりした。美術だってそうで、「美術」という言葉自体明治からできたものだが、信仰の一部であったり権力の象徴であったり「道」の探求であったり…かたちを変えながら生きてきたものであって。今持っている概念というのは、政治の要請や人びとの思いや偶発的な結果やいろんなものから出てきたアウトプットにすぎなくて、同じものが昔からあったわけではない。
何が言いたいかというと、これからも医療は変わるし、変わるべきである。だから変化の折に「これは医療ではない」とかいう主張は無意味だということだ。20世紀はおおむね、疾病治療が中心の医療だったが、今後は治す事だけではなく支えることが大切になっていくだろう。いわゆるCureからCareへ、というやつだ。そうすると「医療」の概念も変わって広くなり、関わる職種も増える。医療が医師だけのものではなくなる。予防(養生)も医療の大事な側面になるだろう。
だから私の勉強会のような、養生を身に付けることも、もしかしたら「医療」の枠組みに入れることができるのかもしれない。そうなったら、もっと多くの人が健康で幸せになれる社会ができるかもしれない。

そう、その「もっと多くの人が健康で幸せになれる」ようにするために先人達が重ねてきた努力の轍が医学の歴史なのだと思う。医学史を学んでその意思を汲み取ることも大事だし、先につなげるために自分たちが努力することも大事だと思う。
可能かどうかは分からないし、小さすぎる力かもしれない。でも、できるとかできないじゃなくて、やるしかないんです。

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